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附箋を剥がす 『新アラビヤ夜話』

しばらく前に読み始めた本が意外に面白くなく、そのまま何となく本を手に取るのが億劫になっていた時期があるのだが、最近ぼちぼちと読み始めたものの1冊。
いつもの通りただのメモ。感想や考察はない。

スティーブンスン『新アラビヤ夜話』(岩波文庫)。1934年初版、佐藤緑葉訳。

だがその気持が非常に強かつたので、それがあらゆる他の動機を圧へつけてゐた。それで進んで相手を探すといふ気持にもなれなかつたが、断然逃げ帰るといふ心にもなれなかつた。(「医師と旅行鞄の話」P20)


「断然」の用例。「全然」との関連で気になっていることばなので、メモしておいた。

殿下の馬車は、サイラスをクレーヴン町のクレーヴン・ホテルへ連れて行つた。そして宿屋の番頭頭にまかせると、そのまゝすぐ帰つて行つた。たゞ一つの空いてる部屋らしかつたのは、階段を四つ上つた上の小さな部屋で、裏通りの方へ向いてゐた。この庵室へ、二人の頑丈な人夫が、大骨折りで、不平たらゞゝ、例の旅行鞄を担ぎ上げた。(同、P43-44)


「空いている」ではなくて「空いてる」。
「たらだら」。ふつうは「たらたら」だが、こんなところが連濁? しちゃうことがあるんだな。

そして彼のたゞ一人の生き残つてゐる親は、からだも弱く、頭もなかつたので、その後はつまらぬ、上品な遊芸の修行などに暇をつぶしても、別に故障を言ふものもなかつた。(「帽子箱の話」P56)


「故障を言ふ」というのは別に変なことばでも何でもないけれども、最近聞かないな、と思っただけ。

サイモン・ロールズ師は倫理学でも名の聞こえた人だつたが、神学の研究でも並々ならぬ練達の士であつた。彼の「社会的の義務に関する基督教義に就て」と題する論文は、それが出版された当時、牛津大学で相当な評判となつたものであつた。(「若い僧侶の話」P100)


「牛津」はオックスフォード。Ox=牛、ford=浅瀬というところからの宛て字だろう。津=浅瀬かどうかは微妙なところだけれども、変わった訓読みの例。
なお、これを「訓読み」というには違和感があるかもしれないけれども、大雑把に言うと漢字音を元にしたのが音読み、日本語の意味を漢字に宛てたのが訓読みだから、「オックスフォード」は和語ではないけれども音読みではない。音読みなら(そんなことばはないけれども)「ギュウシン」。
ちなみに、そういう意味から言うと、「紐育」は字音を宛てたものだから音読み。

コメントなしに引用だけしておく。

「どうもむづかしいお話ですな。」と、その人は言つた。「ざつくばらんに言ふと、私は本といふものは、汽車で旅行する時に慰みに読む外には、たいして役に立つ物だとは思ひません。尤も天文学とか、地球儀の用法とか、農学とか、または造花法とかに就いては、相応に正確な著述があると思ひますが。世の中の事に関する漠然とした方面では、本当に役に立つやうな物はあるまいと思ひますよ。だが、お待ちなさい。」と、彼は附け加へた。「あなたはガボリオーの物をお読みになつた事がありますか?」(同、P108)



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