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附箋を剥がす 『江戸川乱歩作品集I』

『江戸川乱歩作品集I 人でなしの恋・孤島の鬼 他』(岩波文庫)の附箋を剥がす。

私は自分自身の過去の姿を眺めるような心持で、一枚一枚とページをはぐっていきました。(「日記帳」P6)


「はぐる」は「おおいなどをめくる」意。『新明解国語辞典』にはまさに「ページを―」という用例が載っていた。

でも、あの人が私の夫になるかたかと思いますと、狭い町のことで、それに先方も相当の家柄なものですから、顔ぐらいは見知っていましたけれど、噂によれば、なんとなく気むずかしいかたのようだがとか、あんな綺麗なかたのことだから、ええ、ご承知かもしれませんが、門野というのは、それはそれは、凄いような美男子で、いいえ、おのろけではございません、美しいといいますうちにも、病身なせいもあったのでございましょう、どこやら陰気で、青白く、透きとおるような、ですから、一そう水ぎわだったのでございますが、それが、ただ美しい以上に、何かこう凄いような感じだったのでございます。(「人でなしの恋」P37)


「すごい」は現在では副詞的に使われることが多いようだ。「すごい人」というような場合でも、これはむろん形容詞ではあるけれども、「すごく頭のいい人」とか「すごく大勢の人」というようなニュアンスで使われていると思しい。「すごい音」なら「すごく大きな音」だったり「すごく素晴らしい音」だったりする、など。
が、古典の授業で「ものすごし」などという言葉を教わった記憶のある方もいるだろうけれども、「すごい」には元々「恐ろしい」ニュアンスがあった。この「凄い」はそういう例で、「凄いような美男子」というのは必ずしも美男子であることを100%褒めているのではなくて、後文にあるように「陰気で、青白く、透きとおるような」少し恐ろしさ(…とまでは言えないにしても)を感じさせる表現である。

あなたはおみやげ人形といわれるものの、不思議な凄味をご存じでいらっしゃいましょうか。或いはまた、往昔、衆道の盛んでございました時分、好き者たちが、なじみの色若衆の似顔人形を刻ませて、日夜愛撫したという、あの奇態な事実を御存じでいらっしゃいましょうか。(「人でなしの恋」P61)


「すきもの」ではなくここでは「すきしゃ」。

木下芙蓉は彼の幼い初恋の女であった。彼のフェティシズムが、彼女の持ち物を神と祭ったほどの相手であった。しかも、十幾年ぶりの再会で、彼は彼女のくらめくばかり妖艶な舞台姿を見せつけられてたのである。(「蟲」P89)


「―めく」の事例。「くらむ」とか「くらくら」の「くら」に接尾語「めく」が付いている。

明らかに彼はなお木下芙蓉を恋していた。しかもその恋は、あの破綻の日以来、一層その熟度を増したかとさえ思われたのである。今や激しき恋と、深い憎しみとは、一つのものであった。とはいえ、もし今後彼が芙蓉と目を見かわすようなことが起こったならば、彼はいたたまらぬほどの恥と憎悪とを感じるであろう。(「蟲」P97)


「いたたまれぬ」ではなくて「いたたまらぬ」。『新明解国語辞典』の「いたたまれない」の項目に、用例はないものの、そういう語形があることだけは、記されている。

十歳前後の子供であったとはいえ、人一人刺殺されるのを見逃すはずはなかった。又、彼から一間ばかりのところに腰をおろしていたかの二人の細君たちも、彼女らは深山木の身辺に近づいたものがあれば、気がつかぬはずはないような地位にいたのだが、そんな疑わしい人物は一度も見なかったと断言した。(「孤島の鬼」P228)


今ではそんな使い方はしないと思うが、嘗ては社会的な位置のことだけでなく、場所・位置のことを示す用法もあったようだ。
ググったら、漱石の『草枕』に「ありゃ、いい地位にあるが、誰の家  なんですか」という用例があるらしいが、今読み返してきちんと引用する余裕がない。

私は熟考を重ねた末、結局、もう少し諸戸に接近して、この私の疑いを確かめてみるほかはないと心を定めた。そこで、深山木の変死事件があってから一週間ばかりたった時分、会社の帰り、私は諸戸の住んでいる池袋へと志したのである。(「孤島の鬼」P234)

私はこの条理整然たる推理に一応は感服したのであるが、だが、よく考えてみると、そうして通路だけが解決されたところで、もっと肝要な問題がいろいろ残っている。古道具屋の主人がどうしてその犯人気づかなかったのか。たくさんの野次馬の面前を、犯人は如何にして逃げ去ることができたのか。一体犯人とは何者であるか。(「孤島の鬼」P255)


助詞「を」の使い方。

まあ、ゆっくり聞いてくれたまえ。実は僕は初代さんなり深山木氏なりの敵討ちに、君お手伝いして、犯人探しをやってもいいとさえ思っているのだから、ぼくの考えをすっかり順序だてて話をして、君の意見を聴こうじゃないですか。(「孤島の鬼」P255)


助詞「に」の使い方。

そして僕は一つの仮説を組み立てた。仮説ですよ。だから、確実な証拠を見るまでは空想だといわれても仕方がない。しかし、その仮説が考えうべき唯一のものであり、この一連の事件のどの部分にあてはめてみても、しっくり適合するとしたら、我々はその仮説を信用しても差し支えないと思うのです」(「孤島の鬼」P258)


推理小説に良く出て来るシャーロック・ホームズばりの台詞。つい、書きたくなるんだろうな。

「じゃいってごらん。なんといったっけな。おじさんは胴忘れしてしまったんだよ。さあいってごらん。ほら、そうすればこのお日さまのように美しいチョコレートの缶がお前のものになるんだよ」(「孤島の鬼」P273)


『新明解国語辞典』に、「「どわすれ」の長呼。「胴」は借字」とある。

それは一種異様の告白文であって、こまかい鉛筆書きの、仮名ばかりの、妙な田舎なまりのある文章で、文章そのものも、何とも言えない不思議なものであったが、読者の読みやすいように、田舎なまりを東京言葉になおし、漢字を多くして、次に映しておく。括弧や句読点も、私が書き入れたものである。(「孤島の鬼」P290)


日本語の文章として、「仮名ばかり」なのも「括弧や句読点」がないのも読みにくい、ということ。

岩屋島の西がわの海岸で、それは諸戸屋敷とは中央の岩山を隔てて反対のがわなのだが、ほとんど人家はなく、断崖の凸凹が殊に烈しくて、波打際にさまざまの形の奇岩がそそり立っている。その中に一と際目立つ烏帽子型の大岩があって、その大岩の頂きに、ちょうど二見が浦の夫婦岩のように、石で刻んだ小さい鳥居が建ててある。(「孤島の鬼」P394)


「夫婦岩」に「みょうといわ」というルビがある。「めおといわ」より風情がある気がする。

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