附箋を剥がす(その36)『銭形平次捕物控傑作選1』

野村胡堂『銭形平次捕物控傑作選1 金色の処女』(文春文庫)より。

「選」なのは少々残念だが、今でもこういうものが手に入るのはありがたい。
この本、丁寧に注が付いてはいるのだが、少々「?」な感がないではない。「老中」とか「南町奉行」とか「岡っ引」とか、銭形平次の読者には無用と思われるような注がある半面、かなりの知識を持っていなければ判らないようなことには触れられていなかったりする。そんなものも含めて…。

与力と岡っ引では、身分は霄壌の違いですが、何かしらこの二人には一脈相通ずる名人魂があったのです。(「金色の処女」P10)


「霄壌」は「てんち」。宛字には違いないけれども、なるほどな、と思う。

その平次が見限ったのですから、御薬園の塀の中の秘密は容易のことではありません。腹立ち紛れの弥造を拵えて、長い音羽の通りを、九丁目まで来ると、ハッと平次の足を止めたものがあります。(「金色の処女」P12)


「弥造」は、『新明解国語辞典』によれば、「弥蔵」を宛てて、「「ふところ手をして、 握りこぶしを乳のあたりで突き上げるようにしたかっこう」 の擬人化した古風な表現。 「—をきめ込む」」とある。
知らなくても何となく想像は付くだろうけれども、これは注があった方が親切だろう。

捕物の名人、銭形の平次と、その子分ガラッ八は、そんな無駄を言いながら、浜町河岸を両国の方へ歩いておりました。(お珊文身調べ、P34)


土地勘のない人には何の疑問も沸かないところだろうけれども、「浜町」は隅田川の西岸、「両国」は東岸にあるから、浜町河岸を歩いていても橋を渡らなければ両国には着かない…のが現在の地理なのだけれども、元々は、武蔵の国と下総の国を繋ぐ橋として架けられた両国橋の両岸を「両国」と称していたので、江戸時代の古地図には、西岸に「両国広小路」という記載がある。
Wikipediaによれば、元々は西岸が両国で、元禄(1688~1704)以降に東岸を「東両国」と呼ぶようになったという。
胡堂は同書に収められている「平次身の上話」の中で、平次を「元禄以前、寛文万治までさか上った時代の人」と書いている。
万治は1658~1561年、寛文は1661~1673年、どちらも元禄より前だから、この作品で「両国」といえば、隅田川西岸を指していることになる。
なお、無意味な揚げ足取り。
胡堂は「寛文万治」と書いているけれども、第1話「金色の処女」には将軍徳川家光が登場する。家光は1623~1651年に将軍職にあった。とすれば、平次は実際には「寛文万治」よりもっと以前から活躍していたことになる。
両国橋は万治2年に架けられているから、家光の頃には「両国」の地名はなかった。「金色の処女」と「お珊文身調べ」との間に8年以上の間があれば成り立つのだが…。
むろん、時代小説を読む時にそんなことを気にするのは野暮。寛永だろうが元禄だろうが、平次は変わらず31歳なのである。

「今日の行先を知っているだろうな」
「知りませんよ。いきなり親分が、サア行こう、サア行こう――て言うから跟いて来たんで、時分が時分だから、大方『百尺』でも奢ってくださるんでしょう」(お珊文身調べ、P35)


「百尺」というのは何かの食べ物か? と思って国語辞典の類を調べてみたが見当たらない。『日本国語大辞典』にも、「一尺の百倍。約三〇メートル。」とあるのみ。それもそのはず、「百尺」は店の名だった。
豊原国周の浮世絵に、「甚左衛門町百尺樓」というのがある。甚左衛門町は現在の人形町あたり。
こんな絵になっているくらいだから、高級な店なのだろう。ガラッ八は平次に、高級な料理を奢ってくれ、と軽口を叩いているのである。
こんなのは、注がなければ判らない。
余談だが、『日国』の「百尺」の項目には意味があるのだろうか。百尺が一尺の百倍なのは辞書を見るまでもない。「百尺の竿頭に一歩を進む」を説明するための項目だとしても、「百尺竿頭」も立項されているのだから、不要な気もする。

「やいやいこんな湯へ入られると思うか。風邪を引くじゃないか、馬鹿馬鹿しい。(「南蛮秘宝箋」P63)


「入られる」。現在なら「入れる」だな。

合間合間に風呂も焚かせられ、庭も掃かせられ、ボンヤリ突っ起っていると、使い走りもさせられる重宝な男です。(「南蛮秘宝箋」P75)


使役として現在なら「焚かされ」「掃かされ」だが、最後の「させられる」は何と言うだろう、と思ってメモしておいたのだが、改めて見てみると、可能のような気がする。

「黒助兄哥、済まねえが馬糧(まぐさ)の中を探さしたよ、――それから、相沢様、黒助には給金の残りもございましょう。五十両ばかり持たして、故郷へ帰してやっておくんなさいまし」
「――」
何という横着さ、半之丞が呆れて黙っていると、若い采女は手文庫の中から二十五両包を二つ出してポンと投りました。(「名馬罪あり」P131)


この「横着」の意味が判らなくて、辞書を引いた。
再び『新明解国語辞典』。
「仕事は積極的にしないで、 分け前だけは一人前に主張する様子 」。
「分け前」云々にはちょっと違和感もあるが…。それに、件の事例にもピンと来ない。
そういう時には『日本国語大辞典』を見てみる。
「①押しが強くずうずうしいこと。ずるいこと。また、そのさま。②怠けてすべきことをしないこと。また、そのさま」とあった。現在では専ら②の意味で使われていると思うけれども、平次のは①の意味ということ。

「どこへ行ったんだ」
「半刻(一時間)絶たないうちに帰ってくる、銅壺(どうこ)の湯を熱くしておけ――って」(「迷子札」P253)


「銅壺」が何だか判らなかったのだが、これは僕の知識不足。単純に銅で作った湯沸かしのこと。

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