「言い訳」と「説明」

ある物故した日本語学者が、生前良く待ち合わせに遅れて来たのだが、来るとその途端に、必ず何故遅れて来たか、という話を始める。
恩師が、彼は良く言い訳をする男だ、と言ったのに反論して曰く、
「自分のしているのは言い訳ではなく説明である。
言い訳と説明は違う。言い訳は自分のためにするもので、説明は他人のためにするものである。
相手は、きっと何故自分が遅れて来たのだろうと思っている。
自分は、その疑問を解消すべく、相手のために説明をしているのである。」
と。
非常に厳格で論理的な研究をしている方だったが、こんなことを大真面目な顔で「説明」するところに、大いなる人間味が溢れていた。

昨日のエントリを書いていて思い出した昔話。

私の恩師に上代語を専門とする先生がいらっしゃいました。大学の先生らしくなく、いつもトレパンと草履というお姿で講義にいらっしゃっていたのですが、かなり寒い時期でも靴下をはかない方でした。
ある日・・・とある学生が講義の始まる前に、その入り口のドアのところで「先生、今日も『ハダシ』ですね。」と一言。先生は「違う・・・『スアシ』や・・・」と一言。そのあと1時間以上・・・その学生はその場で「ハダシ」と「スアシ」の違いについて延々と個人講義を受けていたそうです。

・・・と、そんな話を思い出しました。
[ 2018/01/03 06:03 ] [ 編集 ]

Re: 三友亭主人 さん

「ハダシ」と「スアシ」の違い、興味深いですね。こういう何の役にも立たなそうなことが、いつか何かの役に立ったりすることがあるんですよね。
今はそういう先生もいないですし、周りも許してくれないですし…。
[ 2018/01/03 08:46 ] [ 編集 ]

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