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温泉寺(長野県諏訪市)

臨江山温泉寺(長野県諏訪市湯の脇)。

法事で境内の移動中に見かけたので、これだけ。

温泉寺 温泉寺

(SONY Cyber-shot DSC-RX100M3)
[ 2019/04/15 22:24 ] 狛犬 その他 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

附箋を剥がす(『芥川龍之介全集 第2巻』)・その2

『芥川龍之介全集 第2巻』(岩波書店、昭和29年11月)の附箋を剥がす。その2。

いやさう云ふつもりぢやないです。――項羽はですな。項羽は、今日戦の始まる前に、二十八人の部下の前で『項羽を亡すものは天だ。人力の不足ではない。その証拠には、これだけの軍勢で、必漢の軍を三度破つて見せる』と云つたさうです。さうして、実際三度どころか、九度も戦つて勝つてゐるです。私に云はせると、それが卑怯だと思ふのですな、自分の失敗を天にかづける――天こそいい迷惑です。それも烏江を渡つて、江東の健児を糾合して、再び中原の鹿を争つた後でなら、仕方がないですよ。が、さうぢやない。立派に生きられる所を、死んでゐるです。一切を天命でごまかさうとする――それがいかんですな。英雄と云ふものは、そんなものぢやないと思ふです。簫丞相のやうな学者は、どう云はれるか知らんですが。(「英雄の器」P56)


「漢の大将呂馬通」の台詞。気にするようなことのないものも含まれるけれども、「です」を連発するのは、軍隊ことばを意識したものなのかもしれない。

市兵衛は、どう云ふ気か、すべて作者の名前を呼びすてにする習慣がある。馬琴はそれを聞く度に、自分も亦蔭では「馬琴が」と云はれる事だらうと思つた。この軽薄な、作者を自家の職人だと心得てゐる男の口から、呼びすてにされてまでも、原稿を書いてやる必要がどこにある?(「戯作三昧」P72)


その場にいない他人に対する態度にも、気を付ける必要があるという教訓。

仏参に行つた家族のものは、まだ帰つて来ない。内の中は(しん)としてゐる。彼は陰気な顔を片づけて、水滸伝を前にしながら、うまくもない煙草を吸つた。さうしてその煙の中に、ふだんから頭の中に持つてゐる、或疑問を彷彿した。(「戯作三昧」P76)


この「森として」を見て、ふと、これが擬声語なのか、擬態語なのか、疑問に思った。むろん、「しーん」も同じ。
ごく軽く調べてみたら、どちらの説もあるらしい。そもそも、
「オノマトペ」と言ってしまえば簡単なのかもしれないけれども…。もっとも、そんな単純なものではないのだろうが…。

それは、道徳家としての彼と芸術家としての彼との間に、何時も纏綿する疑問である。彼は昔から、「先王の道」を疑はなかつた。彼の小説は彼自身公言した如く、正に「先王の道」の芸術的表現である。だから、そこに矛盾はない。が、その「先王の道」が芸術に与へる価値と、彼の身上が芸術に与へようとする価値との間には、存外大きな懸隔がある。従つて彼の中にある、道徳家が前者を肯定すると共に、彼の中にある芸術家は当然又後者を肯定した。勿論此矛盾を切抜ける安価な妥協的思想もない事はない。実際彼は公衆に向つて此煮切らない調和説の背後に、彼の芸術家に対する曖昧な態度を隠さうとした事もある。
しかし公衆は欺かれても、彼自身は欺かれない。彼は戯作の価値を否定して「勧懲の具」と称しながら、常に彼の中に磅礴する芸術的環境に遭遇すると、忽ち不安を感じ出した。(「戯作三昧」P77)


いわゆる「ら抜き」――実際にはこの例のように「a-r抜き」――に関連して気になった。
「欺かれ」が2つ出て来るけれども、どちらも現在なら「欺けても」「欺けない」とすることが多いだろう。

馬琴の眼は、この淡彩の寒山拾得に落ちると、次第にやさしい潤ひを帯びて輝き出した。(「戯作三昧」P78)


つい先日メモしたばかりなのだけれども、何で気になったのかが明確に思い出せない。
が、寒山拾得が出て来る場面で、芥川の他の作品の読みに連関する何かがふと心に思い浮かんだような気がするので、とりあえずメモだけは残しておく。

その間も茶の間の行燈のまはりでは、姑のお百と、嫁のお路とが、向ひ合つて縫物を続けてゐる。太郎はもう寝かせたのであらう。少し離れた所には尫弱らしい宗伯が、さつきから丸薬をまろめるのに忙しい。(「戯作三昧」P88)


これは何だったろう? 「尫弱」が気になったのかもしれない。

老紳士は一しきり濃い煙をパイプからあげながら、小さな眼でぢつと本間さんの顔を見た。今まで気がつかずにゐたが、これは気違ひの眼ではない。さうかと云つて、世間一般の平凡な眼とも違ふ。聡明な、それでゐてやさしみのある、始終何かに微笑を送つてゐるやうな、朗然とした眼である。(「西郷隆盛」P96)


「やさしみ」。
最近の若者言葉で「うれしみ」とか「やばみ」とか、何だかやたらに「み」を付けるのが気になって(マイナス表現ではない)いて、それとの関連で何か言えるかもしれないと思ってとりあえずメモしておいた。

君は僕の云ふ事を信ぜられない。いや弁解しなくつても、信ぜられないと云ふ事はわかつてゐる。しかし――しかしですね。何故君は西郷隆盛が、今日まで生きてゐると云ふ事を疑はれるのですか。(「西郷隆盛」P96)


「信ぜられない」が何となく気になった。後になるとさして気にはならないのだが、とりあえず残しておく。

しかし、一体君の信じたがつてゐる資料とは何か、それから先考へて見給へ。城山戦死説は暫く問題外にしても、凡そ歴史上の判断を下すに足るほど、正確な資料などと云ふものは、どこにだつてありはしないです。誰でも或事実の記録をするには自然と自分でデイテエルの取捨選択をしながら、書いてゆく。これはしないつもりでも、事実としてするのだから仕方がない。と云ふ意味は、それだけでもう客観的の事実から遠ざかると云ふ事です。さうでせう。だから一見当になりさうで、実は甚当にならない。ウオルタア・ラレエが一旦起した世界史の稿を廃した話なぞは、よくこの間の消息を語つてゐる。あれは君も知つてゐるでせう。実際我々は目前の事さへわからない。(「西郷隆盛」P100~101)

狄青が五十里を追うて、大理に入つた時、敵の屍体を見ると、中に金龍の衣を着てゐるものがある。衆は皆これを智高だと云つたが、狄青は独り聞かなかつた。『安んぞその詐りにあらざるを知らんや。寧ろ智高を失ふとも、敢て朝廷を誣ひて功を貪らじ』これは道徳的に立派なばかりではない。心理に対する態度としても、望ましい語でせう。所が遺憾ながら、西南戦争当時、官軍を指揮した諸将軍は、これ程周密な思慮を欠いてゐた。そこで歴史までも『かも知れぬ』を『である』に置き換へてしまつたのです。(同P102)


歴史の研究においてだけではなく、須く銘記しておく必要がある。

本間さんは白葡萄酒の杯を勢よく飲み干すと、色の出た頰をおさへながら、突然、
「先生はスケプティツクですね。」と云つた。(「西郷隆盛」P103)


読む度に、「スケプティック」が気になって、何となく意味は判るけれどもはっきりとは判らずにいて、たまには調べてみるのだけれども都度忘れて毎回同じことを思うので、ここに記載しておく。懐疑論者。

馬の上から落ちた何小二は、全然正気を失つたのであらうか。成程創の痛みは、何時か殆、しなくなつた。…
では、何小二は、全然正気を失はずにゐたのであらうか。しかし彼の眼と蒼空との間には実際そこになかつた色々なものが、影のやうに幾つとなく去来した。(「首が落ちた話」P100)


「全然―失う」「全然―失わず」と、ほとんど同じ否定と呼応する・呼応しない例が連続して出て来る例は珍しいのでは? 使いたい方、どうぞご随意に。