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『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』

電車の中刷り広告の見出しを見ただけで全て判ったような気になってしまう人のことを、岡本おさみは「見出し人間」と呼んだ。

「お笑い草だ 誰も彼もチンドン屋」(「ひらひら」)

常日頃から「見出し人間」にはなるまいとは思っているのだけれども、どうしてもそういう弊に陥ってしまうことがある。
そのことに気づく機会があったので、反省を込めて書き残す。

以前書いたエントリ(「読解力」2017/11/28)で、中高生の国語力の低下の深刻さを扱った記事を取り上げた。
調査の結果は成程と思うものではあったけれども、その記事の中で、近頃はやりのAIに短絡的に結び付けていると感じて浅さを指摘した。
そんなことは忘れていたのだけれども、最近偶然この書籍に出会った。

新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

上記のエントリで取り上げた記事の調査を行なった研究チームを率いる「国立情報学研究所の新井紀子教授」の著書、しかも当該の記事が取り上げた内容が書かれているのが本書である。
「はじめに」に目を通しただけでこのエントリが見当外れだったことが判った。

著者は「AIが東大に合格できるか」というプロジェクトを行なっている人で、その経験・知識の上からAIの可能性・限界を踏まえた上で、国語力の大切さを訴えている。
AIには少なくとも現時点では限界があって、人間のような思考を行なってことばを使うことはできない。だから、AIがどんなに進化しても、人間のやる仕事をすべてAIに置き換えることはできないという。
が、肝心の人間の国語力がAIの能力を下回っていたら、当然、そういう人間がやっている仕事は容易にAIに置き換えられてしまう。
AIに仕事を奪われないためにはAIにできない人間としての思考力、国語力を持つ必要がある、ということが述べられているのであって、単に、AIが発達したら人間の仕事が奪われる、という漠然とした不安を煽っているのではない。
むろん、ここに書かれていることが全部正しいかどうかは判らない。
例えば、著者は、巷で語られるシンギュラリティ(とてつもなく簡略化するとAIが人間の知能を超えること)は来ない、とくり返し断言している。むろん想像を超える大発明があるのが世の常だから、この予測は外れるかもしれないけれども、そんなことは本質的な問題ではない。
どんな本にでも言えることだけれども、書かれていることを鵜呑みにするのではなく、自分で考えながら読まなければならない。
これ以上は書かないけれども、国語に興味のある方は、読んでみて損はないだろうと思う。

贅言。
件の記事から与えられた印象と本書の内容には隔たりが大きく感じられるから、記者の理解が浅かったと言えないこともないけれども、出典に当らずに軽々に物を言ったのは僕の意識がその記者程度に浅かったということだろう。
ネットに落ちている断片的な情報で真実が判ったような気でいる諸君(かく言う自分もその一人たることを免れないが)、何か物を言うためには、原典に当るべきである。

『マイ遺品セレクション』

みうらじゅん『マイ遺品セレクション

マイ遺品セレクション

ふざけた本だといえばふざけているんだけれども、真面目といえば真面目でもある。
ふつうの人から見たらどうでも良いようなものを必死に集めた記録。
観光地の誰も買いそうもないような土産物だとか冷蔵庫に貼るマグネット(良くポストに投げ込まれている宣伝用のもの)だとか。
月1回の新聞の連載を楽しみに読んでいるので、書籍化されてすぐに買って読んだ。
みうらじゅんの書きっぷりが面白いので、僕が中身を説明してもちっとも伝わらないだろうから書かない。
この感覚が判らない人は、読んでも面白くないだろうからおすすめはしない。判る人にはおススメ。
[ 2019/02/18 23:37 ] 本と言葉 図鑑 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

またまた猿江神社(江東区猿江)

先日久しぶりに猿江神社に行ったのが節分の日だったのでのんびり撮影ができなかったので、またまた行ってみた。
とは言え、のんびりするほど広い神社でもないけれども…。

猿江神社 猿江神社
猿江神社 猿江神社

のんびりしたところで大して変わらないことは判った。

猿江神社

猿は多少可愛らしく撮れたかな、とは思う。

SONY NEX-6 + Carl Zeiss Planar T*50mm F1.4)
[ 2019/02/16 00:28 ] 狛犬 東京/江東 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

十二社熊野神社(新宿区西新宿)201902

昨日、東京は今年初の積雪ということだったので、雪の積もった狛犬でも撮ろうかと思って立ち寄った、が、大したことはなかった。
…のだけれども、折角だから載せておく。

十二社熊野神社(新宿区西新宿)。

十二社熊野神社 十二社熊野神社
十二社熊野神社 十二社熊野神社
十二社熊野神社

(SONY Cyber-shot DSC-RX100M3)
[ 2019/02/10 08:54 ] 狛犬 東京/新宿 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

「ディラン氏彫刻米国務省が購入」

久しぶりにディランがおバカなニュースのネタになってくれて嬉しい。
まぁ、ディラン自身は何もしてないんだけど…。

ディラン氏彫刻米国務省が購入

ネットで検索しても見つからなかったので画像で。
『産経新聞』平成31年2月6日)

猿江神社(江東区猿江)

以前にも紹介したことのある猿江神社(江東区猿江)。
この神社の前(裏)は割に頻繁に通るのだけれども、素通りしていたので、昨日久しぶりに入ってみた…

猿江神社

…のだが、節分の豆まきの準備で、落ち着いて撮影というわけにも行かなそうなので、狛犬はササっと撮って、…

猿江神社 猿江神社

…ぐるっと回って帰ろう、と思ったのだが、見たことのない神猿の像が出来ていた。

猿江神社

平成30年に奉納されたものだそうなので、割に出来立てほやほやである。

猿江神社 猿江神社

××(新元号)10年の年賀状素材にどうぞ。

もう一ついつの間にか…

猿江神社

…見たことのない網が掛かっていたのだけれど、これに何かの効果があるのだろうか?

(SONY Cyber-shot DSC-RX100M3)
[ 2019/02/05 00:30 ] 狛犬 東京/江東 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

附箋を剥がす 『殺人仮装行列』

山本周五郎『周五郎少年文庫 殺人仮装行列』(新潮文庫)より。

柚木三吉は思切ったように、
「素直に申上げなかったのは悪うございました。然しまだ何もはっきり分っていないのに、友達に厭な疑いをかけたくなかったのです」(P16)


「悪うございました」。年少者向けの作品だけれども、当時はこれが常識だったのだろう。「~うございます」は、このほかにも多々出て来る。

「メイヤーの仕業ですね、部長」
「君もそう思うか。――如何にもメイヤーの復讐だ。そうで無くてこの帽子をだれが届ける? ジャックの捕縛に対する復讐として、奴等は楳原を殺し、我社を嘲笑するために態とこの帽子を届けて寄来したんだ」(P117)


「そうで無くて」。「不人情でなくつて…」などで取り扱った、接続助詞「て」。

「仕事はどうした。旨く行ってるかい」
「もう石膏を叩くばかりさ」
「じゃあ十分間に合うな、――吉田や波木井はどうしてる?」
「二人ともやっているよ」
「まあ精々頑張ってくれよ、季節外れの会で批評家の目が光ってるから、迂闊して敲かれないように頼むぜ」(P186)


「迂闊して」。漢語にサ変動詞「する」を付けると動詞化するのは日本語の特徴の一つ。ふつうなら「迂闊なことをして」だろうが…。

女学校二年生にしては大柄な方で、顔だちも姿もずば抜けて美しく、――府立第×高女の豪華版――と、評判されていた。(P229)


「評判されて」。上記と同。

然し車は無事に東京駅へ着いた。三人の乗る列車は七時三十分の下関行特急「富士」である。――王子は手鞄ひとつの身軽さで歩廊(プラットホーム)に立っていた。桂子が花売娘から紫はしどいの花束を買っていると、
「やあ、波多野さん暫く」
と声を掛けながら、向うから和服と背広姿の男が二人近寄ってきた。(P239)


「紫はしどい」って何なんだ? と思って調べてみたらライラックの和名だった。

「ではこう仰有って下さい。蔦屋で午後五時まで待っています。五時までにおいでがなければ断然東京へ帰ります」(P371)


「断然」。何となく気になっていることばなだけ。

道は幾曲り、半島へかかった。と……向うの角岩を今や曲ろうとしている馬車、
「あッ、伯父さーん」
祐吉は馬上に絶叫した。(P377)


「馬上に」。助詞「に」の使い方。

橋島のひと言はみんなを(ぎょっ)とさせた。顔色から見たって冗談を云っているとは思えない、其処にいた五六人の仲間は、思わず椅子から立って橋島の方へ集って来た。(P387)


「恟」。見たことがない…わけではないかもしれないけれども、少なくとも使ったことのない漢字が宛てられていたので…。