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『ダメ子さん弾き語る』―今年聴いた音楽(その12)

年の終盤、『ごみ』から「今年聴いた音楽」を始めたので、これで締めることにしよう。

人生ダメ子『ダメ子さん弾き語る』

ダメ子さん弾き語る

知る人ぞ知る、ぼくたちのいるところ。略してぼくいる。のヴォーカル・人生ダメ子が弾き語っているミニ・アルバム。
ぼくいる。と言えば絶叫系パンク・バンドと言って良いだろうけれども、これはじっくり聞かせる~とはいえ「静かに」ではないが…~ものである。
割に最近、そういうダメ子さんの歌の良さを再認識する機会があって、改めて聴き直している。

花園神社2017

以前、花園神社(新宿区新宿)の網に囲われてしまった絶品ブロンズ狛犬を紹介したことがある。
割に最近、件の狛犬から網が取り払われていることに気づいたのだけれども、そうそう都合良くカメラを持っているはずもなく、写真を撮ることができなかった。
それでこの度、カメラを持ってちょっと足を延ばしてみたのである。

見れば判る、と思うので、特段のコメント抜きに載せておく。

花園神社 花園神社
花園神社 花園神社
花園神社 花園神社
花園神社 花園神社
花園神社 花園神社

花園神社に初詣に行こうと思っている方は、これにも注目してみてはいかがか。

(SONY Cyber-shot DSC-RX100M3)
[ 2017/12/25 00:00 ] 狛犬 東京/新宿 | コメント(4) | TB(0) |  TOP△

クリスマス?

時節柄と言って良いのか、こんな「デモ」が行なわれるらしい。

クリスマス粉砕デモ2017 in 渋谷」。

馬鹿々々しい、下らないには違いないのだけれども、こんなことを大真面目な様子でやってしまうところは、なかなかセンスがある。
去年、恋人と一緒に参加したという(本来の趣旨をまるで弁えていないような)人がいたことでこのデモの存在を知ったのだが、そこまで来ると形を変えた一種のクリスマス・イベントと言っても良いかもしれない。

なお、ぼくは「クリスマスのせいで余計な労働を強いられ、搾取されなければならないクリスマス労働者」の一人なので、その日時には仕事をしている。
むろん仕事じゃなくても参加しないけど…。
[ 2017/12/24 08:52 ] 自然・季節 風物詩 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

『ファースト』―今年聴いた音楽(その11)

「1996年日本製、最も見苦しいロックンロールバンド。」というのが、The Mashのキャッチコピーなのだけれども、ちっとも見苦しくはない。
むろん、キャッチコピーなんてインパクトがあって目立つことに意義があるのだから、実際見苦しくなくっても構わない。見苦しいどころか、むしろ最高に格好良い。まだまだ荒削りなところはあるように感じるけれども、それはそれで悪くない。
詳しいことはほとんど何も知らないのだけれども、格好良ければそんなことはどうだって良いのである。

The Mash『ファースト』

first
[ 2017/12/20 18:18 ] 音楽・映像 The Mash | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

附箋を剥がす(35)

毎日々々何だけれども、まだ続く、幸田文『ふるさと隅田川』(ちくま文庫)より。

方々の日傭とりに出て稼ぐのだが、そのをばさんはほかの日傭とりのをばさんたちと違つて、顔が陽に焼けていなくて白かつた。(「湿地」P128)


列叙接続の接続助詞「て」。

の漁を見に行くのである。東京から札幌・釧路・根室を経てノサップ岬を訪ね、北に進んで知床半島の漁場、羅臼といふ町へ行くのである。(「濡れた男」P149)


「しゃけ」はふつう、「鮭」を使うけれども、こんな字もあるんだな。

船がごめのそばを通ると、ごめはふはゝゝ浮いてゐるが、うす桃色の小さい脚がしきりに水を掻いてゐるのが透いて見えてゐる。かはいゝ。(「濡れた男」P160)


別に何ということもないのだけれども、「かはいゝ」という表記が何だか妙に可愛らしい感じがして、メモしておくことにした。SNSで使ったりしたら、存外流行るんじゃなかろうか。できれば句点付き「かはいゝ。」の形で。

さかなは暴れまへに食ひだめをしておいて安全な場処へ退避し、河水が気に入るやうに澄むのを待つて出て来る。だから暴れの最中とあとは釣れなくて、そのまへは釣れる。相当鉤の危険を経験してゐるはずの大魚でも、がめつて食はうとするのでついかゝつてしまふ。(「二百十日」P171)


「がめる」という動詞は知らなかったが、意味は、伝わって来る。

附箋を剥がす(34)

引き続き、幸田文『ふるさと隅田川』(ちくま文庫)より。

いまは専門にぞつき本を捌く処ができてゐるけれど、むかしはどうったのか。第一、いま云ふぞつきと同じ性質のものが同じ数量で、むかしもやはり出てゐたかどうか。本屋さんとは切つても切れない関係の、もの書きの子に育ちながら、気が働かないといふのはしかたがないもので、単行本にしろ雑誌にしろ古い本のことにしろ、まるで知らないで過ぎてきた。(「船内屋さん」P76)


「ぞっき本」ということばは、知らなかった。僕が学生の頃は、「B本」などと言っていた。今でいう「自由価格本」もその一種なのだろう。それらに比べて、そこはかとない風情がある。

こんなのもある。釣好きが夜釣をかけてゐると、河心を行く船があつて、艫には島田の女がすわつてゐるが、非常な美人なのでつい気を取られたら、不意にばたゝゝがしやゝゝとそこいらぢゆうが大騒ぎになつて、板子の下に活けてあつた魚はみな取られてしまつた、などといふたぐひである。(「あだな」P91)


再び、「河心」の例。

いままで何でもないことだつたものが急になぜだらうになつて、胸の途中にものが閊へたやうな気もちのまゝ、明けて行く河面を見てゐる新さんへ、なかまが集まつてきて乗合の楽しさが例の通りにひろげられて行つた。そしてやがて、おるいの「いつてらつしやいまし」に送られて乗りだして行つた。(「あだな」P99)


「『いつてらつしやいまし』という声に見送られて」あるいは「『いつてらつしやいまし』の声に見送られて」などというのがふつうの引用の仕方だろうが、そうではなくて、「『いつてらつしやいまし』見送られて」。文体の融合の事例。

けれどもおるいもさて新さんを呼んでみれば、さうしやきゝゝものを云つたのではなくて、やはり涙のはうが大部分で新さんをはらゝゝさせ、――自分がゐなくなつても何も心配なことはないが、たゞ夜のひきあげどきだけがなんとも気になつて、それを考へると死にたくないし、心配でゝゝどうしてみやうもない、ひとに頼んだつてそのことだけはどうにもならないけれどよろしく頼む、と云ふ。(「あだな」P103)


「夜のひきあげどき」ということばも、聞いたことがなかったのでメモしておいた。

おるいのことはおるいのことで、いつまでたつてもおるいのことなのだし、今日の生活は今日の生活だし、あとの人はあとの人だし、こぐらかるまいとしてゐた。(「あだな」P106)


これもあまり見たことがなかったので。’Tangled up in blue'~「ブルーにこぐらかって」…いや、これはさすがに「こんがらがって」の方が良いな。

彼はほんたうに、うちへ帰つてうちの飯を食つた。凶暴に食つた。鬱憤は吐きだされずに逆に胃へ押しこまれた。炊いたばかりの御飯はみんなになつて空のお櫃に茶碗と醤油さしが突つこまれて醤油はこぼれてゐた。工場へ半年行つて親を離れてゐたあひだに、彼の血はたぎることをおぼえ、人間がかはつたやうだつた。(「あだな」P117)


3点。
1.「みんなになる」。意味は容易に判るけれども、実例にお目に掛ったのは、あるいは初めてかもしれない。
2.たぶん僕以外誰も気になることのない箇所。「空のお櫃に茶碗と醤油さしが突つこまれ醤油はこぼれてゐた」…「て」の前後、ふつうなら条件接続で繋ぎたくなるところ、列叙接続が使われている。
3.「たぎることをおぼえ」の主語は「彼の血」なのだから、続く部分の主語も「彼の血」であるのがふつうなのだろうけれども、「人間がかはつたやうだつた」の主語は「彼」である。「彼の血はたぎることをおぼえ(た。彼は)人間がかはつたやうだつた」。それを1文で表現している叙述観点の転換の事例。

附箋を剥がす(33)

先日も取り上げた、幸田文『ふるさと隅田川』(ちくま文庫)より。

ちよつと見には水と闇は別ちがたく一帯に暗く、しかしよく見ると河心のあたりにはありとしもなく光が漂つてゐる。(「燈籠流し」P57)


「河心」ということばが目に付いたのでメモしておく。

水垢のついた古杭にならんで、新しい大小の塔婆が立てられ、枝つきのまゝの竹にはそまつな切子燈籠と樒が結ひつけられてゐる。(「せがき」P60)


「結びつけられて」ではなく「結ひつけられて」。語感が美しい。

水罰があたる」といういましめの言葉は、もうすっかり消えてしまったようである。私自身のことでいえば、今から五十年まえの、はたちの頃からきかなくなった。(「みずばち」P74)


「水罰(みずばち)」ということばは、確かに、聞いたことがない。が、魅力的なことばである。水を粗末にした時に言われる「おまえに水がこしらえられるか。」という叱りのことばも、趣深い。
ちなみに、この作品が発表されたのは1977年。その「五十年まえ」は、まだ昭和になったばかりの頃のことである。

"LEX HIVES"―今年聴いた音楽(その10)

THE HIVES "LEX HIVES"
 ザ・ハイヴス『レックス・ハイヴス』

LEX HIVES

スウェーデンのロック・バンドだそうだ。
例によって例の如く、詳しいことは何も知らないのだけれども、とにかく、喧しいことだけは請け合える。
[ 2017/12/12 23:23 ] 音楽・映像 洋楽 | コメント(0) | TB(0) |  TOP△

太田姫稲荷神社2017

たまには狛犬。

神田駿河台は古書店街ともほど近く、昔から馴染みのあるところである。
とはいえ、この神社があるところは大通りから1本入っているから、久しく行くこともなかったのだけれども、先日、たまたまカメラを持っていたこともあり、思い立ってしばらくぶりに訪ねてみた。

まずは、吽行の狛犬。

太田姫稲荷神社 太田姫稲荷神社

続いて、阿行の狛犬。

太田姫稲荷神社 太田姫稲荷神社

著しく摩耗してしまって見る影もない…のだけれども、ここまで劣化してはいなかった気が…と思って、以前撮ったものを見てみたところ、こんな(2010年)とかこんな(2011年)とかだった。
経年劣化でここまで急激に変わるとは考え難く、若干不安定な状態で置かれているので地震で転げ落ちて破損したりでもしたのか、とも思うが、本当の理由は判らない。

(SONY NEX-6 + Carl Zeiss Planar 50mm F1.4)
[ 2017/12/07 23:58 ] 狛犬 東京/千代田 | コメント(2) | TB(0) |  TOP△

「忖度」

今年の流行語大賞に「インスタ映え」と「忖度」

 今年の世相を反映した言葉を選ぶ「2017ユーキャン新語・流行語大賞」(「現代用語の基礎知識」選)が1日、発表された。年間大賞には、SNS「インスタグラム」に投稿した写真がひときわ映えたかどうかを意識した「インスタ映え」と、森友・加計学園問題で盛んに使われた「忖度(そんたく)」が選ばれた。(朝日新聞)


この流行語大賞に選出される言葉は、例年いろいろと物議を醸し出すものではある。
良く言われる政治的云々は措いておくが、僕個人としては、本当に流行「語」なのかどうか、疑問に感じることが多い。
去年の「神ってる」は確かに流行った気がするし、神っていた選手が母校の附属高校の出身者だから良いとして(…というのは冗談だが)、一昨年の「トリプル・スリー」は、プロ野球選手として大変な偉業であることに疑問の余地はないのだけれども、それが「言葉」として流行したのかと言えば、否と言わざるをえないのではないか。
同じく、一昨々年の「集団的自衛権」も、間違いなくその年話題になった「事柄」ではあったけれども、「言葉」そのものが事柄から独り立ちして様々な場面で使われるようなことはなかったはずである。
その前の年の「今でしょ!」とか「倍返し」のような、仮に出典を知らなかったとしても誰でも汎用的に手軽に使えるような「言葉」が、流行語と呼ぶに相応しいのではないかと思う。

そういう意味では、今年の受賞語の一つである「忖度」は、「言葉」として流行したと言って良いだろう。だから、この語が受賞したこと自体は、さもありなんとは思う。
ただ、この言葉が流行したことには、やや釈然としないものがある。それは、何故この言葉が流行したのか、ということなのだが、事の発端が、「官邸の意向を忖度する」ではなく、「官邸の意向を推し量る」や「官邸の意向を考える」などだっとしたら、「推し量る」や「考える」が流行語になることはよもやなかったろうと思われる。
つまり、それまでに聞いたことのなかった「忖度」という言葉が、実はそういうちょっとイカガワシイ場面で使われるアヤシゲなものであることを知って、みんながいろいろな場面で使い始めた、不正と紙一重の公に出せないような行為を指す言葉なのだから聞いたことがないのも当然だ…というようなことが、「流行」した背景にあるように感じるのである。
お蔭で、僕にとっては今まで普通に使えていた(むろん頻繁に、ではない)言葉が、極めて使いにくくなってしまったのである。

言うまでもないことだが、「忖度」にはもともとマイナスもプラスもない。悪い場面でも使えるし、良い場面でも、どちらでもない場面でも使える言葉である。
安直に、青空文庫からの引用で済ませる。

明治乙亥十一月十日に森枳園が棠軒に与へた書は、既に注する所を除いて、猶枳園の壬申以後の内外生活を後に伝ふるものとして尊重しなくてはならない。内生活は末の「日本と唐好き」の一節に由つて忖度せられる。外生活は早く寿蔵碑に、「五月至東京、是月廿七日補文部省十等出仕、爾後或入医学校為編書、或入工学寮為講辯」の句があるが、これを此書の「壬申以来文部へ出仕」云々の一節に較ぶれば、広略日を同じうして語るべからざるものがある。(森鷗外『伊沢蘭軒』その三百六十六)


「忖度」発言をした当人だって、たぶん当たり前の言葉として使ったに過ぎないだろう。まさか「忖度」という言葉そのものがそんなことになるとは予期していなかっただろうと、僕は「忖度」している。

ところで、面白かったのは、受賞者が「忖度まんじゅう」を作った会社の社長だということだ。発言者に受賞を打診したものの断られた、という経緯があるのかもしれないけれども…。
その社長の受賞のコメントが、実に奮っている。
「忖度という言葉は日本文化をあらわす本当に素敵な言葉だと思います。これからも忖度という言葉を大事に使っていきたいと思っています。」