少し前のニュース。
ドアーズのキーボード奏者R・マンザレク氏死去、胆管がんで闘病 [ロサンゼルス 20日 ロイター]米国の伝説的ロックバンド「ドアーズ」のメンバーで、キーボード担当のレイ・マンザレク氏が20日、ドイツのローゼンハイムで死去した。74歳だった。同バンドのマネジャーが明らかにした。 声明によると、マンザレク氏は胆管がんを患い、闘病生活を送っていた。ドアーズのギタリスト、ロビー・クリーガー氏も「友でありバンド仲間のレイ・マンザレクの訃報を聞き、深く悲しんでいる。レイは私の人生においてとても大きな一部であり、会いたくてたまらなくなるだろう」との声明を発表した。
ドアーズにはベーシストが居ず、マンザレクがキーボードでベースラインを弾いていた。奇矯な行動も含めて、ジム・モリソンが注目されるバンドだったと思うけれども、彼もまた、重要なメンバーだった。
ところで、この記事に「同バンドのマネジャー」云々とあるのを見て、ドアーズがまだ活動していたのか、と初めて知った。で、ちょっと調べてみると、何だかだいぶ
ゴチャゴチャしていた ようである。
今日のBGM。
昨日発売の細野晴臣のニュー・アルバム。昨日入手したのだが、夜遅くまで仕事だったから、今日になって聴いた。
『Heavenly Music』 1960~70年代のアメリカのポップスを中心としたカヴァー・アルバム。とは言っても、原曲の趣きとは一風変わったアコースティックな雰囲気で統一されている。
中でも、ボブ・ディランの楽曲を日本語で歌う When I Paint My Masterpiece がなかなか良い。
久しく細野と共に活動している高田漣のスティール・ギターもさりげなく素敵。
改めて落ち着いて聴こう。
あくまでも個人的な趣味趣向で、必聴の邦楽名盤10枚を取り上げる企画の第5弾。
今回、年代は一気に飛ぶ。
「邦楽名盤」と銘打ってこのアルバムを取り上げる人は少ないだろうが、そこはあくまでも個人的な趣味趣向によるものなのだから致し方ない。
ハルメンズ『ハルメンズの20世紀』 (1981年)
趣味の時代 Q-P-ダンス 焼ソバ老人 アニメイション 少年たち シングル・ハンド・ボーイ 幸福の未来 マスクト・パーティー ジャングル都市 お散歩 春の嵐 ナルシスティック ゴールデン・エイジ ふにゃふにゃサイボーグ 母子受精 マスタード 青山学院大学の佐伯真一教授のご令弟がサエキけんぞうだということは、国文学徒の間では割に知られている話だと思うが、その中で、サエキけんぞうの音楽を実際に聴いたことのある人はそれほど多くはないような気がする。
そのサエキけんぞうが「佐伯健三」時代に結成していたバンド、ハルメンズ。
かく言う僕も、さして聴いているわけではないのだが、このアルバムは名盤の中に加えて良いだろう。
何が何だか訳が判らないと言えば判らない。
上手いんだか下手なんだかさっぱり判らない(たぶん上手いんだろうが…)比賀江隆男のギターやこれでもかと言わんばかりに叩きまくる泉水敏郎のドラムが炸裂する「趣味の時代」を皮切りに、同じフレーズをひたすら繰り返す「焼ソバ老人」や「ジャングル都市」など、かなり理解困難な名(迷)曲が目白押しである。変な音楽だと言えば言えるのだが、その「変」さ加減がこの上なく心地良い。
ゲスト陣も多彩で、戸川純や野宮真貴が参加していることは、マニアの人(?)には堪らないかもしれない。SPYには特段に興味はなかったのだが、佐藤奈々子のボーカルもこのアルバムには嵌っている。
あまりピコピコいう音楽は入れないようにとも思っていたのだけれど、これは別格。
ただ一つ言っておきたいことは、「頭の中を空っぽにして聴け」ということである。
あくまでも個人的な趣味趣向で、必聴の邦楽名盤10枚を取り上げる企画の第4弾。
高田渡『ファースト・アルバム ごあいさつ』 (1971年)
ごあいさつ 失業手当 年輪・歯車 鮪に鰯 結婚 アイスクリーム 自転車にのって ブルース おなじみの短い手紙 コーヒーブルース 値上げ 夕焼け 銭がなけりゃ 日曜日 しらみの旅 生活の柄 放浪の吟遊詩人・高田渡のファースト・アルバム。
「コーヒーブルース」の、「三条へ行かなくちゃ/三条堺町のイノダっていう/コーヒー屋へね」という詩に誘われて、京都に行けば、欠かさずイノダコーヒに行く。イノダコーヒは何店かあるけれども、そこはやはり三条堺町の本店である。
イノダでは、ミルクと砂糖のたっぷり入ったコーヒーが出る。抜くことは可能だし、コーヒー通はブラックを好むものだけれども、ことイノダに関して言えば、抜かずに頼むのが通らしい。
さて、フォーク歌手というイメージの強い高田だが、このアルバムでは弾き語りばかりでなく、真心ブラザーズによるカバーでも有名な「自転車にのって」や、ファンキーなロックン・ロール・ナンバー「しらみの旅」など4曲で、はっぴいえんどをバックに歌っている。そもそもこの頃の音楽を、フォークとかロックとか、一方にカテゴライズすることがナンセンスなのだろう。
それにしても、これを聴いて、どうにもデビュー・アルバムという気がしない。これ以前にインディーズでの活動があったにしても、である。既に、後年見るような風貌が彷彿とする。
晩年、何故だか注目されて、テレビにも出ていたけれども、このアルバムと、ちっとも印象が変わっていなかった。高田渡は死ぬまで高田渡だった、ということである。
なお、現在出ているCDには、ボーナス・トラックとしてキャラメル・ママ(ただしギターは中川イサト)をバックに録音した「自転車にのって(ファンキーヴァージョン)」が収録されている。矢野顕子のコーラスが秀逸。
ただ一つ言っておきたいことは、「生活をかみしめながら聴け」ということである。
アルバムの掉尾を飾る「生活の柄」。
VIDEO グレイトフル・デッドみたいだ…。
今日5月11日は、1981年に亡くなった、レゲエの神様ボブ・マーリィの命日。
ということで、極めてありきたりだけれども、これが今日のBGM。
"Catch A Fire"~『キャッチ・ア・ファイアー』~ "BURNIN'"~『バーニン』~ "LIVE!"~『ライヴ!』~ LPでは他にももう少し持っていたのだが、CDになってから買い直したのはこの3枚。
メジャー・デビュー・アルバムと、セカンドと、ボブ・マーリィを世界的スターにしたと言われるライヴ盤。
たぶん中学生の頃、ボブ・マーリィが死んだ直後くらいに初めて耳にして、それまでに聴いたことのないような不思議なリズムに魅せられた。
今日のようなじめじめした雨もよいの空に似つかわし…くはまったくないのだけれども、ともかくこれが今日のBGMなのである。
演劇研究家、河竹登志夫さん死去 歌舞伎を世界に紹介 歌舞伎研究の第一人者で文化功労者の演劇研究家、河竹登志夫(かわたけ・としお、本名・俊雄=としお)さんが6日午後0時28分、心不全のため東京都内の病院で死去した。88歳。東京都出身。通夜は9日午後6時、葬儀・告別式は10日午前11時半、東京都港区南青山2の33の20、青山葬儀所で。喪主は妻、良子(よしこ)さん。(msn産経ニュース)
この人の父親は同じく演劇研究家の河竹繁俊。河竹繁俊は河竹黙阿弥の娘の養子だから、この人は黙阿弥の曾孫に当たる。
この人の著書で歌舞伎の勉強をした人は多いだろう。僕も(専門外ではあるが)その一人である。
鉄道好きの息子(小学3年)が、ゴールデン・ウィークの休みに
てっぱく に行きたいと言う。
連れて行ってやりたいのは山々だが、この時期に行くのは鉄道ではなく人を見に行くようなものである。容易には首肯できない。が、無碍に却下もできないので、今まで乗ったことのない電車に乗りに行くのはどうだろう? という代案を出してみた。
1日考えた結果、電車に乗りに行く案に乗って来た。そこで乗りに行ったのが、これ。
千葉都市モノレール。
懸垂式モノレールとしては、営業距離世界最長なんだそうである。懸垂式モノレールは、湘南モノレールの軌道の下を歩いたことが何度もあるのだが、乗ったことはなかった。
これは息子が発見したのだが、レールが上にあるだけあって、連結器も上にある。
終点まで行って引き返して来たのだが、それだけではつまらないので~息子にとっては十分に面白かったようだが~、県庁前駅で降りて少し歩いてみた。
すると、こんな建物がある。
中世の頃、このあたり一帯に千葉氏の城郭(亥鼻城とも千葉城とも言う)があった。とは言え、中世の豪族の城郭にこんな天守閣があったわけではない。
これを「千葉城」と称して観光名所として売り出そう魂胆なのなら実に興醒めであるのだが、これは
千葉市立郷土博物館 であって「千葉城」ではない。ホームページを見ても、たぶんどこにも「千葉城」とは書いていない。つまり、博物館が、たまたま天守閣のような形に造られているだけである。そこが、奥床しいと言えなくもない。
五層の天守からの眺めも悪くない。しかも、博物館の入館料は大人60円、子供30円と超格安。近くまで行ったら(行かないと思うが)、入って見ても悪くないのではないか。
(Panasonic LUMIX DMC-LX3)
あくまでも個人的な趣味趣向で、必聴の邦楽名盤10枚を取り上げる企画の第3弾。
矢野顕子『JAPANESE GIRL』 (1976年)
気球にのって クマ 電話線 津軽ツアー ふなまち唄・PartII 大いなる椎ノ木 へこりぷたぁ 風太 丘を越えて ふなまち唄・PartI アナログ時代のA面を「AMERICAN SIDE」、B面を「日本面」と称する。
AMERICAN SIDEは、ローウェル・ジョージ率いるリトル・フィートが演奏している。
セールスには恵まれなかったとはいえ、ウェスト・コーストの実力派バンドを日本の一介の新人歌手が引っ張り出している(しかも矢野自ら次々と演奏に注文を出したのだとか)のは、後から思えばかなりの驚きである。
日本面には、細野晴臣・林立夫・あがた森魚・ムーンライダーズが参加。
なお、エンジニアは吉野金二である。
リトル・フィートの何たるかを知らなかった頃は、日本面にばかり目(耳?)が行っていたけれども、改めて聴いてみると、AMERICAN SIDEの演奏も、さすがはリトル・フィートだけのことはある。むろん、日本面がそれに負けていないのだから、当時としてはかなり画期的なことだったろう。
AMERICAN SIDEの「ふなまち唄・PartII」と日本面の「同・I」を聴き比べてみるのも一興…とはいえ廃盤。
ただ一つ言っておきたいことは、「西海岸を想いながら聴け」ということである。
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