牛島神社(墨田区向島)。 かなり大型の狛犬。  この神社をご存じない方のため、立地が判る写真を。  続いて、文化8年(1811)、和泉屋平吉作。 (Canon EOS20D + EF-S17-85mm F4-5.6IS USM)(続く)
メモみたようなものである。省察はない。 恒例の『新明解国語辞典』より。 ぜんぜん[全然](副) その事柄を全面的に否定する様子。全く。「―〔=まるで〕なっていない」〔俗に、否定表現を伴わず、「非常に」の意にも用いられる。例、「―(=てんで)おもしろい」〕
国語問題、特に「言葉の乱れ」に興味関心のある方なら、「全然」に関する様々な意見を耳にしたことがあるだろう。 「全然」に否定表現を伴わない用法は、『新明解』が「俗に」と言うことからも明らかなように、正しい用法ではないと、一般には思われている。 それに対して、別の意見もある。芥川龍之介もそういう使い方をしている、いや、芥川の例はそういう用法ではなくて…うんぬんかんぬん…。 芥川の例というのは、たとえばこういうものである。 これを見ると、下人は始めて明白にこの老婆の生死が、全然、自分の意思に支配されていると云う事を意識した。(『羅生門』)
そうして、又さっきこの門の上に上って、この老婆を捕えた時の勇気とは、全然、反対な方向に動こうとする勇気である。(『羅生門』)
人間に、言語があるのは偶然ではない。従って、彼等も手真似では用を弁じない事が時々ある。が、彼等は、全然五位の悟性に、欠陥があるからだと、思っているらしい。(『芋粥』)
そこで、彼等は、早速評議を開いて、善後策を講じる事になった。善後策と云っても、勿論一つしかない。――それは、煙管の地金を全然変更して、坊主共の欲しがらないようなものにする事である。(『煙管』)
三人の忠臣が予想した通り、坊主共の上にも、影響した。しかし、この影響は結果に於て彼等の予想を、全然裏切ってしまう事に、なったのである。(『煙管』)
『羅生門』の2例目は、強いて言えば、「全然―反対」という、否定のニュアンスを伴う使い方とも、言えないことはないかもしれないが、それはかなりコジツケで、間違いなく否定と呼応しない例である。 もっと古く、夏目漱石にも用例がある。 ラファエルに寸分違わぬ聖母の像を二枚かけと注文するのは、全然似寄らぬマドンナを双幅見せろと迫ると同じく、ラファエルに取っては迷惑であろう、否同じ物を二枚かく方が却って困難かも知れぬ。人間の用うる国語は全然模俲主義で伝習するものである。(『吾輩は猫である』)
先生は幸い近眼である。のみならず自己の講義のうちに全然埋没している。三四郎の不心得には丸で関係しない。(『三四郎』)
「全然(まるで)、stray sheep(ストレイ シープ)だ。仕方がない」(『三四郎』)
嘘を云う積でなかった津田は、全然本当を云っているのでもないという事に気が付いた。(『明暗』)
『三四郎』の2例目は、「ぜんぜん」ではないので関係ないと言えば関係ないが、「全然」という漢字を宛てているところに意味がある。『明暗』の例は、一見否定表現と呼応しているようにも見えるが、ここは「全然―ない」ではなくて、「全然―云っている」のである。なお、『猫』の例には、「全然似寄らぬ」という否定と呼応する例も入っている。 あぁ、なるほど。明治・大正期には「全然」は否定と呼応しない場合があるんだな、となると、「全然」が否定とだけ呼応していたのは、せいぜい数十年の歴史なのか…と思うと、もっと新しい例もある。 「全然同意ですな」 沼田は変な軍隊用語で、ポカンと気が抜けたように答えた。雪子はくすりと笑った。(石坂洋二郎『青い山脈』)
「ええ、オバサマになんとかして貰わないと、あたし、全然、持てあますのよ」(獅子文六『自由学校』)
「フルフル、面白かったわ。お金はとれるし、男性のウィーク・ポイント(弱点)は、全然、ハッキリしちゃうしさ」(獅子文六『自由学校』)
『青い山脈』が1947年、『自由学校』が1950年の発表。どちらも当時の若い世代の人物の会話文の中の用例である。 『羅生門』の発表は1915年で芥川23歳の時。『芋粥』『煙管』はその翌年。芥川が『青い山脈』発表時に生きていたとして、55歳ほどの年齢である。 『自由学校』発表の十数年後、登場人物たちが漸く中年にさしかかるかどうかという頃に、僕は生まれた。そして、僕が物心付いてことばに興味を持つようになった頃には、「全然」が否定と呼応しない用法は、誤用と言われながらも存在していた…はずである。 となると、「全然」が否定と呼応するのが正しかった時期は、一体、何時だったのだろうか…? こんな結論のない断片的な知識でも、誰かを相手にひけらかしてみようかと思って、自分では若干の違和感を覚えつつ、わざと「 全然ありっしょ!」などと使ってみたりするのだが、全然突っ込んでくれる人がいない。 <余談> 「ひけらかす」を漢字に変換しようと思ったのだが、変換してくれない。「披らかす」とでも書くのではないかと思っていたのだが、辞書を引いてみたらこの語に当て嵌まる漢字はないらしい。 「ヒカラカス(光らかす)」とか「ホコラカス(誇らかす)」とかの転、という語源説があるようだが、どうにも胡散臭い。
神社に行くと、よほど居心地が良いのか、しばしば猫にお目に掛かる話。 昨日、柳森神社(千代田区神田須田町)でお目に掛かった猫。 末社の社殿で、日向ぼっこをして温まってござらっしゃった。   (Panasonic LUMIX DMC-LX3)
今日の狛犬。 築土神社(千代田区九段北)。 安永9年(1780)製。千代田区最古の狛犬。 ビルの中にある神社で、境内は薄暗く、吽行の背景は明るい。撮る角度も限られる。何時行っても撮りにくい。     (Panasonic LUMIX DMC-LX3)
アントン・チェーホフ『チェーホフ集 結末のない話』チェーホフと言えば、『かもめ』『三人姉妹』『ワーニャ伯父さん』『桜の園』など、戯曲作家というイメージが強かったのだが、こんな軽妙な短篇を、しかも大量に書いているとは知らなかった。もっとも、知らなかったのは僕の浅学に因るところだが。 パニヒージンが降神術の会から家に戻ると、部屋の真ん中に棺桶が。怯えて友人の家に行くとそこにも…。(「恐怖の一夜」) 将軍夫人ペチョンチーハが処方した薬でリューマチが全快したことに礼を言いに来た百姓ザムフリーシン。が、彼が帰った後に落ちていた紙切れの中には…。(「仮病病みの群れ」) ユーモアと言うべきか、シニスムと言うべきか、何と評したらよいか判らないのだが、大文豪がこんな軽妙な話を書いていたというのは発見だった。むろん、知っている人には常識なんだろうが…。
今日のBGM。 SANDY DENNY "SANDY" ~サンディ・デニー『サンディ』~"The North Star Grassman And The Ravens"(海と私のねじれたキャンドル)を指して、 こちらを推すと書いた舌の根も乾かぬうちに何だが、改めてじっくり聴いてみると、これは素晴らしい。 たしかに、 Late November や John the Gun のような「超」の付く名曲はない。が、全篇を通して、心に沁み渡る。 フェアポート・コンベンション時代と比べても、自分のスタイルを確立した感がある。 僕の中でこのアルバムの評価が一変したのにはある切っ掛けがあるのだが、それは気が向いたらその内に…なんて、誰も期待していないのだが…。
しばらく旅行記づいていた勢いで、海の見えるお薦めの宿をもう一軒ご紹介する。 ここに行ったのは2年前のことだが、我が家には、冬場に海辺へ出掛ける習慣が何となくある。勝浦とか御宿とか伊豆とか湯河原とか…。 神奈川県三浦市にある 城ヶ島京急ホテル。このホテルの玄関を出ると、すぐ目の前にこんな光景が拡がる。   品川から京浜急行線快速特急に乗って1時間強で終点・三崎口、そこからバスで城ヶ島へ。 都心から近くて安い(京急線快特は特急料金不要)ところにも、こんな絶景の地がある。 (Canon EOS20D + EF50mm F1.8II)
たった1泊の国内旅行で ここまで引っ張るか、という感もあるが、書けば書いたで誰かの役には立つかもしれないと思って書いている。 どこかに旅行をしようと思ったら、事前に名所・旧跡や土産物など、下調べするものである。 僕の場合、銚子訪問は4回目だから、それほど下調べはしなかったが、それでもいくつかのサイト(ブログを含む)を参考にした。オフィシャルな観光案内より、個人のブログの方が、痒い所に手の届くものがあって、意外に役に立つものである。まぁ、その割には ぬかりがあるのだが。 それで、恩返しと言おうか何と言おうか、しつこいくらいに書いているわけである。個人的な銚子への思い入れということも大きいが。 そんなこんなで書き連ねて来た銚子旅行記も、いいかげん今回で打ち止めにする。 そこで、銚子旅行の土産に是非お勧めしたいもの。 まずは、銚子に行ったら必ず買って来る、 山十商店の「ひ志お」。  ご飯に載せても野菜に付けてもうまい。個人的には、お粥に乗せて食べるのがお薦め。 1月7日に東京に戻って来て、半日遅れの七種粥に乗せて食べて、あまりのうまさに改めて感激した。銚子の魚で美食三昧を送った反動で、あっさりしたものを身体が欲していたということもあろうが…。 昨今は食べるラー油が評判だが、こちらは言わば、食べる醤油である。と言っても、流行に乗った二番煎じなどでは毛頭なく、伝統ある由緒正しいもの。 万葉集に、 「醤 (ひしほ)酢 (す)に蒜 (ひる)搗き合 (か)てて 鯛願ふわれにな見せそ水葱 (なぎ)の羹」 (3829番歌・長忌寸意吉麻呂)と詠まれた、その「醤」である。 もちろん、万葉の「醤」と現代の「ひ志お」がまったく同じということはあるまいが、こういう話は、素朴に信じていた方が楽しい。 更に古くは、中国の周代の文献にも現れるそうである。詳しくは、「 ひ志お大学」へ。 銚子駅構内の売店でも購入できるが、山十商店まで足を伸ばした方が、安いし種類も豊富である。それに、店の雰囲気も良い…などという割には店の写真は撮っていない。これもぬかりである。 山十商店まで行ったら、もう一歩だけ足を伸ばして利根川まで行くことをお薦めする。 利根川から海に水が注ぐ様子を銚子に譬えたのが、この地の名の由来だそうである。だから、銚子に来たからには、利根川河口は見るべきである。もっとも、河口を見る目的なら、ポートタワーに登った方が良いが。 千葉県銚子市と茨城県神栖市を結ぶ銚子大橋。川に掛かる橋としては、日本一の長さである。  12年前、茨城まで歩いて渡ることを計画して橋の袂まで行ったのだが、あまりの交通量の多さと歩道の未整備さに怖じて断念した。現在、掛け替え中(かなり完成に近付いているが)らしいので、完成の暁には歩道が整備されているのではないか、と期待して、それに、銚子駅前にレンタサイクルができたようなので、いずれは渡ってみたいものである。 川沿いには遊歩道が整備されている。  この先をまっすぐ進んだ先が銚子漁港。ポートタワーも見える。 最早「川」というイメージを超えていて、とても開放感がある。こんなところでのんびりと川の流れを眺めていたいものである。この日は寒くて長居はできなかったが…。 そのほか、今回は行かなかったが、お薦めの場所いろいろ。ただし実際に行ったことのあるところしか勧めようがないので、ほかにももっと良いところがあるかもしれない。あしからず。 『うおっせ21』土産物を買うならここである。特に、銚子ならではの水産物の店が軒を並べる。以前行った時、アンコウを丸ごと売っているのを見た。 この『うおっせ』に行ったら、是非とも隣接するポートタワーには登りたい。 さらに、『うおっせ』の中にある食事処「 魚座屋」。海鮮丼の量・味には驚く。 『地球の丸く見える丘展望館』犬吠埼から見ても、地球は丸く見えるのだが、ここに登れば、もっと広い範囲、屏風ヶ浦側まで見ることができる。 以前、展望館に行った時、近くにあるカフェ&レストラン「 風のアトリエ」にも行こう、と思って行ったのだが、2度行って2度ともたまたま定休日だった。残念ながらまだ縁がない。 『 川口神社』 大漁節にも歌われる、漁師の守り神。利根川河口を見下ろす小高い丘に建つ神社、と言っても河口が良く見えた、という記憶もないのだが…。静かでとても趣がある。ここからポートタワーまで歩いて行く途中に、道路脇に生えていたサボテンに突っ込んだ思い出がある。 銚子さかな料理 『かみち』とにかく美味しい魚料理の店。今回も行こうと思っていたのだが、息子の機嫌がどうにも悪く、残念ながら入れなかった。それまでにお金を使いすぎて、懐が少々寂しかったことも原因のひとつだが…。 最後に、お薦めの本。 銚子電鉄関係の知識の多くは、この本で仕入れた。 ただし、これは銚子観光のガイドブックではないので、観光目的ならそれに見合ったものを見るに如くはない。 まっぷるとか、 るるぶとか。 (Canon EOS20D + EF-S17-85mm F4-5.6IS USM/Panasonic LUMIX DMC-LX3)
まっすぐ銚子に向かおうかとも思っていたのだが、息子がどうしても外川まで行くという。どうせ帰りの電車までは時間があるので、行くことにした。 ということで、外川駅。 そこには、引退したデハ801が…。 左側の車両は、犬吠駅から乗って来たデハ1002。 3年前の写真と比べると、かなり古びて来ている。  中川@やたナビさんの撮った デハ801の写真も外川駅のようだから、引退後はずっと外川駅に止めてあるのかもしれない。前回来た時には、この場所にはトロッコ列車「澪標号」が止まっていたのだが。 外川は終着駅だから、線路の先はこんなふうになっている。  外川漁港まで行って戻って来ると、前日、仲ノ町車庫に止まっていた2000形がやって来た。 この2000形、2両編成だが、前の顔と後ろの顔が違っている。 銚子側から見たところ。  物の本によると、上がクハ2502形、下がデハ2002形(なお、緑色の電車はクハ2501形+デハ2001形)らしいのだが、 銚子電鉄のホームページにも「2000形」として紹介されているから、それに倣う。 デハ1002は1両編成、2000形は2両編成。前日走っていたのは同じくデハ801とやはり1両編成の桃太郎電車。 電圧の関係で、一度に計3両までしか動かせない、というのはあしか寿司のご主人に聞いた話である。地元ではヤマサ醤油から電気を借りれば良いのに、と冗談で語られているとか。 この電車に乗って銚子へと向かう。息子は、初めて銚子電鉄の2両編成の電車に乗った、と言って喜んでいたが、そもそも銚子電鉄自体、そうそう乗るものではない。
インターネット上で交換日記みたいなことをしてみても仕方がないのだが、ブログなんてぇものはそもそもそんなものだと思って大目に見ていただきたい。 やた管ブログの「 本当の贅沢とは何か」のエントリで、当ブログの「 犬吠埼・その2(銚子2011・その6)」を取り上げていただいた。 それに関するどうしょうもないこと、諸々。 1.贅沢上記エントリで、「贅沢」とは次のようなものだと言う。 例えば、満漢全席を食べるのは贅沢のようだが、食べきれないのを必死で食べたり、食べきれなかった料理を折詰にして持って帰ったりするのは、本当の贅沢とはいえない。それどころかかなり貧乏くさい行為である。二三口食べて「もう結構、次を出してくれ」。これが真の贅沢である。
たしかにその通り。食べ切ろうと思うのは、残したら勿体ないと思うからである。僕のような小市民は、どうしても無理してでも食べ切ろうと思ってしまう。そんな心構えでは、贅沢など到底できない。 落語「目黒のさんま」の枕に、鯛の尾頭付きに関して、こんな話がある。下々の者が食べると、残りを犬も食わないほど味わい尽くすのに対して、 お大名は一箸しか付けなかったもんだそうです。気に入るてえと「替わりを持て」っとまた替わりを取ってまた一箸。
(『NHK落語名作選6 三代目三遊亭金馬』より) というものだそうである。もっとも、噺の枕がそれほど信用できるはずもないが、贅沢というのはそういうものか、と思わせるものはある。 ちなみに、この話には続きがある。 「三太夫、替わりを持て」 「は」 「替わりじゃ」 「は…は」 あいにく賄い所に一匹の鯛です。市中駈け廻りゃないことはございませんが、今の間に合いません。 「替わりじゃ」 「は…お殿様に申し上げます」 「何じゃ」 「お築山の桜、手入れをいたしました。明年咲き頃は、さぞ見事かと存じます」 「築山の桜か…おぉ、手が入ったのう。こちらの泉水べりの枝ぶりがの…」 向うへ気を取られている時に頭としっぽを持って、三太夫さん箸でぐるっとひっくら返っしゃった。 「お召しの鯛、持参いたしました」 「左様か…うん、以前に変わらぬ良い風味じゃのう…替わりを持て」 「は?」 「替わりを持て」 「う、うん、へへぇ」 今度ひっくら返しゃ、また元の穴が出て来る。 「三太夫、替わりじゃ。…もう一遍築山の桜を見ようか?」 2.徳冨蘆花の文章蘆花の文章は、高田宏著『 岬へ』で知った。 この本は、ぎょうけい館の部屋に置いてあって目にしたものである。目立たないところ(文箱の中)にだが、全室に配備されているものと思われる。恐らく特別室にも…。 だが、部屋の隅々まで何ひとつ見落とすまいというような根性では、到底贅沢はできない。 3.水平線上の雲日の出前後に雲が水平線上に垂れ込めていても、日が昇れば間もなく霧消する。去年の12月24日の日の出時刻に雲が無かったかどうかは判らない。 だが、もし雲が掛かっていたとしても、水平線から日が昇る夢を貪って幸福感に浸っていたのだとすれば、この上なく贅沢なことは言うまでもない。だが、惜しむらくは、障子を閉てっぱなしにして外を見ずに過ごしていれば、もっと贅沢だったような気がする。 僕は、早起きして日の出を見てしまったし、露天風呂から絶景を眺めてしまったし、灯台のライトアップも見てしまった。そうしなければ損したような気分になるからで、そんなことではどうにも贅沢とは程遠い。 贅沢とは、難しきかな。 4.オマージュ(誤用)当ブログを取り上げていただいたのは、「オマージュ(誤用)」としてのものらしい。 「オマージュ~hommage~」とは、尊敬とか敬意とか、それによる創作とかのことを言うのだろうと思うが、今回はあくまでも「誤用」としてこのことばを使っているらしい。 今までてっきり 尊敬してくれているものと思っていたのだが、残念ながらそういうわけでもなかったらしい…。 銚子の旅は、まだ続く。
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