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訃報202001

渋沢栄一のひ孫、国文学者の岩佐美代子さん死去

国文学者で鶴見大名誉教授の岩佐美代子(いわさ・みよこ)さんが17日、肺炎のため神奈川県綾瀬市内の病院で死去した。93歳だった。喪主は長男、泉(いずみ)氏。

 民法学者、穂積重遠の娘として生まれた。渋沢栄一のひ孫にあたる。女子学習院高等科卒。昭和天皇の長女、照宮さまの学友を務めた。結婚後、家庭に入ったが、照宮さまが35歳で逝去したのを機に、国文学の研究を再開した。

 中世の和歌、女流日記を研究。北朝第一代の天皇の和歌集に収められた全ての和歌に注釈を付けた「光厳院御集全釈」で2001年、読売文学賞を受賞した。他の著書に「内親王ものがたり」「宮廷文学のひそかな楽しみ」など。(読売新聞オンライン)


「渋沢栄一の…」は知らなかった。
本質的には、あまり意味はないけど…。

「眠られぬ」

いわゆる「ら抜き」ではないことばの例。

わしは自分の理論を皿の上に投げ、しりぞいて考えなおした。悪魔たちは、夜眠られぬ人々の魂から発する燃えるガスを、そして日中は古い罪科によって発するあの病的な熱を、ほしがっているのだ。
(レイ・ブラッドベリ『何かが道をやってくる』「2 追跡 40」。大久保康雄訳。創元推理文庫、1964年初版)


以前、「眠られた」のエントリで取り上げた芥川龍之介の『山鴫』が1921年(大正10)発表だから、大幅に下った年代のもの。それで、メモしておく。

断片(助動詞「なり」の識別)

古いメモ書きをそこはかとなく書き付ける。
そんなものは自分の中で温めていれば十分で、blogで公開する価値は皆無なのだけれども、10年以上も鞄の中に入りっぱなしのメモ書きが複数あるような為体だから、可視的な記録にしておかなければ思い出す機会もないだろう。
思い出さないようなのはそれまでのものということでもあろうけれども、とりあえず自分のためにだけ書き留めておく。そうしておけば、後で何かの役に立つかもしれない。むろん自分にだけ。

教科文法の常識、助動詞「なり」の識別。
終止形に接続するのは伝聞・推定、連体形に接続するのは断定である。
かの有名な土左日記の冒頭文の2例はどちらもサ変動詞「す」に接続しているから、「(す)なる」が伝聞推定、「(する)なり」が断定、と一目瞭然…に思ってしまうけれども、古代国語の動詞では、終止形と連体形が同形の四段活用が一番多いのだから、「(行く)なり」とか「(歌ふ)なり」とか、多くの場合には接続から判別することが不可能である。
判別できないものを判別の基準にするというのは、明らかに論理矛盾である。
例えば、「あなり」という表現がある。
「あなり」は動詞「あり」の撥音便「あん」に助動詞「なり」が付いたものだけれども、「ありなり」なら終止形接続だから伝聞・推定、「あるなり」なら連体形接続なら断定、ということになる。
それが撥音便で「あンなり」となり、表記としては「あなり」となるわけだけれども、これでは「あり」が終止形なのか連体形なのかが判らない。
「ありなり」とか「あるなり」とかであればどちらの意味かは判るけれども、「あなり」では判らない。意味が区別できなくなるように語形を変化させた、などということは、言語の運用上ありえない。
そもそも、どちらの意味だか判らないのなら、「なり」など付いていなくても同じである。
要は、接続で助動詞「なり」が識別できる、というのはまやかしだ、ということである。

考えてみたら、わざわざ「断片」と銘打たなくても、断片に過ぎないものは過去に幾らでもあった。でもまあいいか。

「凹凸」

「正しい日本語」に関心を持つ人は少なからずいるようで、書店に行くと正しい日本語本を良く目にする。
ことばの使い方というのはクイズのように簡単にマルバツの付けられるものではないから、何が正解、何が不正解、と言う知識を羅列されても、何となく満足感が得られるだけで、さして実りのあるものではない。

先日立ち読みしたある本に、「凹凸」を「でこぼこ」と読むのは間違いだ、と書いてあった。
それが必ずしも間違いだ、とは言えないけれども、何しろ書かれている理由が奮っていた。それは、「でこぼこ」なら「凸凹」だと言うのである。
そもそも「凸」は「でこ」とは読まないし、「凹」も「ぼこ」とは読まない。「凹凸(オウトツ)」という漢語に「でこぼこ」という和語を宛てた宛字である。

「蜻」は「とん」とは読まないし「蛉」も「ぼ」とは読まない。けれども、だから「蜻蛉」を「とんぼ」と読むのは間違いだ、ということにはならない。
漢字そのものをどう読むか、ということと、漢字の文字列をどう訓むか、ということとは、まったく別の問題である。

こんな本を読むのは実につまらないけれども、つまらないということがわかるのは、ちょっとだけ楽しい。

「仇討」

近・現代の文学でも、月の出・入をいい加減に扱っていることはない、 それを理解していると、古典だけではなく近・現代の文学でもより面白く読むことができる、というような趣旨のことを書こうとしていて、読んだことのある、月の出て来そうな作品をいくつか読み返していた、その副産物。
月の描写自体は使えそうだったのだけれども、それ以外で、これは本当に合っているのか? と疑わしいところが出て来た。とはいえ、僕の知識のなさによる誤解だったら恥ずかしいので、間違っているのでは? と大っぴらに書くのは憚られる。
そんなものをここに書き付ける。

赤穂浪士の討入を描いた、直木三十五の「仇討」。

出立の時刻は七つ刻――八時。――今の八時とは時代がちがう。まして雪の夜のもう大河端は人が通らない。(心得)


「七つ刻」というのは史実のとおりらしいのだが、「七つ刻」は本来は4時のはずだ。

降りに降った雪も宵になって止んで、八つをすぎる頃には月さえ出た。丁度十四日という明るい月夜である。(雪明)


「七つ刻」から「八つ」になっているが、この当時の時刻の数え方は、0時を「九つ」として、二時間ごとに数が減って行く。もし2時間後の時刻を表すのであれば、「六つ」でなければならないはずである。
なお、「十四日」の月が出るのは17時過ぎのはずだけれども、この前にずっと雪が降っていて宵になってやんだという描写があるから、これは月の出の描写ではない。

浪士が吉良邸に討ち入った場面。

表門は檜材分厚の扉。掛矢で叩破ろうとすれば凄まじい音がする。その音に起出されて防がれては事面倒である。二挺の梯子が門の右側の塀へ立てかけられる。大高源吾、間十次郎の二人が登って行く。誰も黙して語らない。月は真上に冴亘っていて雪の上へ鮮かな影を落している。(表門)


ここに時間の表現などないだろうと思う勿れ。ここには月が「真上」にあると書いてある。月が「真上」に来るのは月の出の6時間後、17時過ぎに出たのなら、23時過ぎということである。
討入開始が「八時」の2時間後、22時だとすると若干ズレているようにも思うが、多少の誤差は「真上」という表現の許容範囲内だろうから、これについては問題ないだろう。
けれども、全体的に考えて、この作品の時間の経過は不審である。

史実としては、無縁寺(回向院)に到着したのが5時頃、そこから泉岳寺に移動したのが8時頃だと言われているようだ。
作品中にも、浪士一行が泉岳寺に着いたのは、

十五日の朝八時すぎである。(引揚)


と書かれている。
作品中に回向院に着いた時刻は明記されていないけれども、泉岳寺に着いた時刻が史実通りなのだから、回向院に着いた時刻もほぼ史実通りの時刻で想定して良いだろう。
最初に引用した「七つ刻」が仮に「八時」だったとして、「八つ」がその2時間後だったとしても、14日の20時に出立、22時に討入開始、討入後に回向院に着いたのが朝5時ということになる。
両国界隈の地理をご存じない方のために書いておくと、吉良邸から回向院まで、ゆっくり歩いても10分と掛からない。
とすれば、吉良邸での戦闘が、7時間近くも続けられていたということになる。これは、さすがに無理なのではないか。

これはうってつけの材料だ、と喜び勇んで読み返したら、こりゃダメだ、となったという次第。

訃報・眉村卓

今さら感はあるが…。

SF作家 眉村卓さん死去 「ねらわれた学園」

「ねらわれた学園」などのSF小説で知られる作家の眉村卓さんが誤えん性肺炎のため、3日朝、亡くなりました。85歳でした。眉村卓さん、本名 村上卓児さんは昭和9年、大阪市に生まれ、大阪大学経済学部を卒業後、コピーライターを経て作家としてデビューしました。

眉村さんは「まぼろしのペンフレンド」や「ねらわれた学園」など、少年少女向けのいわゆる「ジュヴナイルSF」を数多く発表し、昭和54年には人類が宇宙に進出した未来に植民地の惑星で展開される人間模様を描いた「消滅の光輪」で泉鏡花文学賞を受賞しました。 

青表紙本

源氏物語で最古の写本発見 定家本の1帖「教科書が書き換わる可能性」

 源氏物語の現存する最古の写本で、鎌倉時代の歌人・藤原定家による「定家本」のうち「若紫」1帖(じょう)が、東京都内の旧大名家の子孫宅で見つかった。冷泉家時雨亭文庫(京都市上京区)が8日発表した。定家が校訂したとみられる書き込みや、鎌倉期に作られた紙の特徴などから、同文庫が定家本と鑑定した。

 既に確認されている定家本4帖は、いずれも国の重要文化財に指定されている。「若紫」は、光源氏が後に妻となる紫の上との出会いを描く重要な帖だけに、今後の古典文学研究に大きな一石を投じる可能性がある。(京都新聞)


見出しはややオーバーな感じはするけれども、久しぶりに大型の発見だろうと思う。

まぁ、発見物にはさほど興味はないんだけれども…。

「続文芸的な、余りに文芸的な」

芥川最晩年の随筆 自筆原稿を初公開

 作家の芥川龍之介(1892~1927年)が、谷崎潤一郎と文学論を戦わせた最晩年に発表した随筆「続文芸的な、余りに文芸的な」の自筆原稿を、東京都北区の田端文士村記念館が入手し、同館で展示されている。全集に収録されるなど随筆の存在は知られていたが、自筆原稿が一般公開されるのは初めてという。

 芥川が自殺を遂げる数カ月前に執筆したとみられ、記念館研究員の種井丈さんは「心身共に衰弱した芥川が、悲壮な覚悟で文学上の難題と真摯に向き合った姿がうかがえる」と話している。(産経新聞)


自筆原稿にはさしたる興味はないものの、芥川好きとして一応メモしておこうと思った次第。

訃報・池内紀

少々遅れたけれども、記録しておく。

ドイツ文学者の池内紀さん死去 78歳 「ファウスト」、軽妙なエッセーも人気

ドイツ文学者でエッセイスト、毎日新聞書評欄「今週の本棚」の執筆者を長年務めた池内紀(いけうち・おさむ)さんが8月30日、虚血性心不全のため死去した。78歳。葬儀は近親者で営んだ。喪主は妻水緒(みを)さん。(毎日新聞)

「ほくそ笑む」


気になった記事。
もうこの試合の結果は出てるけど…。

バド・奥原「最終的には泥仕合になる」 女子決勝は「奥原VS山口」日本人対決

 日本が誇る女子の両エースが決勝で相まみえる。先に駒を進めていた奥原が「最終的には泥仕合になる。我慢比べ」と展開を予告。この発言を聞いた山口は「泥仕合になったら向こうの勝ち。あまり長い試合にならないように頑張りたい」とほくそ笑んだ。(デイリー)


山口選手はほくそ笑んだんだそうだ。
こんな時にほくそ笑むのは、山口選手の人間性に問題があるのか、記者が山口選手のことを嫌いなのか、記者の日本語力に問題があるのか……。

なお、三番目以外の可能性については、かなり苦労してひねり出した。
なおなお、僕は山口選手には真摯なコメントをする人だという印象しかないので、一番目を採る気はさらさらない。