僕は『広辞苑』を持っていない。『広辞苑』どころか、同程度の中型辞典は1冊も持っていない。お恥ずかしい話だが…と書くべきかもしれないが、実は恥ずかしいとはまったく思っていない。
一般に、『広辞苑』はインテリの家庭の必需品のように思われているだろう。たしかに、そのクラスの中型辞典は、家に1冊だけ辞書を置いておくとしたら大層便利である。一家に1冊あっても悪くはない。
僕にしても、今まで一度も持ったことがないというわけではない。実家に行けば『広辞苑』もあるし『日本語大辞典』もある。が、今の家に越す時に置いて来たのである。
何故なら、使わないから。ちょっと言葉の意味を確かめたい程度の時には重たくて引くのが億劫だし、本格的に調べたい時には物足りない。前者の場合、ハンディな辞典を使うに如くはないし、後者であれば『日本国語大辞典』がある。だから、中型の辞典は使わないのである。ズームレンズを使う時に両端しか使わないのと同じ理屈である。(例として判りにくいか?)
ところで、『広辞苑』と言えば、思い出がある。
僕が中学生だった時、初老の国語の先生がいて、年季の入った『広辞苑』を持っていた。その先生が、生徒に適当な言葉を言わせて、その言葉を探すのだが、何度やってもパッと開いたところから最大4ページ以内(2回ページをめくるだけ)にその言葉が出ている。
その頃は、手品でも見るような気がして、驚いたり喜んだりしていたのだが、後になって思えば、長年の間、初めから終わりまで何度も読んで、数え切れないほどページを繰っていたからそういう芸当ができるようになったんだろう。
その頃の『広辞苑』は、もっと小さくて薄かった。だから、そういうこともできたのだろうが、今では文字の級数も上がり、収録語数も増え、紙質も良くなったので、大きくて厚くて重くなった。居間のインテリアとしては最適だが、日常使うのには適していない。
愛蔵版ともなればなおさら、いつもカバンに入れて持ち歩くことなど、到底できるものではない。手の内に入れて使いこなすには、そんなに詳しくなくても、ハンディなものの方が良い。
だから僕は『広辞苑』を持っていない、という話なのだが、本当は、国語辞典についてほかのことを書こうと思っていて、イントロダクションが長くなってしまったのである。まるでとりとめもなくて申し訳ない。
本篇が、いつ書けるかは判らない。
>今では文字の級数も上がり、収録語数も増え、紙質も良くなった
>ので、大きくて厚くて重くなった。居間のインテリアとしては最適
>だが、日常使うのには適していない。
広辞苑、置物化が激しいですよね。
それでも権威は絶大で、電子辞書でも広辞苑が入っているのと、大辞林が入っているのでは、売れ行きが違うそうです。
『古典の批判的処置に関する関する研究』を電車の中で読破した経験を持つ僕でも、『広辞苑』を持ち歩く気には到底なれません。
> それでも権威は絶大で、電子辞書でも広辞苑が入っているのと、大辞林が入っているのでは、売れ行きが違うそうです。
理由もなく、『広辞苑』が一番信頼できそうな気がしますからね。電子辞書なら持ち歩くのに苦労はないし…。
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