『ピタゴラ装置DVDブック(3)』改めて説明するまでもない、「ピタゴラ装置」本の最新刊。
『
ピタゴラ装置DVDブック1』『
ピタゴラ装置 DVDブック2』が出た後久しく続巻が出ずにいたのだが、第3弾が発売されていたことを最近になって知って購入した。
DVDの収録時間は過去最長、といっても30分ほど。それでこの値段なのは高いと思う方もいようかとは思うが、そこは考えようである。
確かに安くはないけれども、カラー写真がふんだんに入っている本が付いている(体裁としてはDVD付きの本だが、実態は逆だと言って良いだろう)から、このくらいは致し方がないだろう。
収録時間も、ほんの少し物足りない気持ちが残るくらいが、実際にはちょうど良い。
それに、数年前に娘のために買った1・2巻を、今では息子が何度もくり返し見ている(娘もたまに一緒に見ている)。それを考えたら、けっして高いとは思われない。
何度でも楽しめる映像(と本)である。
我が家に咲いている花を撮影してみた。
とは言っても、育てているものではない。勝手に生えて来た、雑草である。
オッタチカタバミとムラサキカタバミ。
これは雑草ではないが…去年零れた種から芽を出したアサガオ。
(Canon EOS20D + TAMRON SP AF90mm F2.8Di Macro)
千住本氷川神社(足立区千住3丁目)。
社殿の前に、割に大型の狛犬がいる。
素盞雄神社の獅子山の狛犬と、良く似た形である。
素盞雄神社のものがあまりにも絶品だから、較べてしまえばやや見劣りする感は否めないものの、それはあくまで比較の問題で、これはこれで、決して悪いものではない。
この狛犬、通常の狛犬とは違って、左側が阿行、右側が吽行になっている。
ただし、
阿行が雌、
吽行が牡であること自体は、変わりがない。
こちらは旧社殿。
見事な彫刻が施されている。
なお、「千住七福神 大黒天」とあるが、辺りに大黒の姿は見えない。あるいは、旧社殿の中に安置されていて、七福神巡りの時期だけ見ることができるのかもしれない。
手水舎の蛇口は獅子を象ったもの。
境内にあった「氷川ラジオ体操会三十周年記念 足立区年中無休 ラジオ体操発祥之地」の碑。
どこで区切って良いのか判らないので、どんな謂れのあるものなのか、いま一つ判然しない。
(OLYMPUS PEN E-PL2 + M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 & Carl Zeiss Planar T*50mm F1.4)
ありきたりだが、備忘のために書き留めておく。
今日2012年5月22日(火)、
東京スカイツリーが営業を開始した。
残念ながら朝からの雨、おまけに強風のために
展望デッキと展望回廊を往復するエレベーターが一時停止され、そのために
展望回廊の営業も中止になったりして、初日から散々な感はあるものの、開業したこと自体、まずは目出度い。
一昨日、
開業前最後のライトアップを記事にしたので、今日は開業後最初のライトアップを…と思っていたのだが、雨が治まらないので止めにした。
とは言え、悪天候の中、我が家からもライトアップは確認できた。その内に、撮ることにしよう。
なお、週末ではなく、こんな週の頭に開業するのは、今日が大安だからである。…たぶん…いや絶対…。
もとよりどうでも良い話である。
ありきたりだが、備忘のために書き留めておく。
周知の通り、前回の金環日食は1987年9月23日、次回は2030年6月1日で、しかも前回のは沖縄、次回のは北海道だから、よほどのことがない限り、今回が一生に一度の体験になるだろう。
昨日来の天気予報があまり良くなく、実際、朝から生憎の曇天で諦めの気持ちもあったのだが、時々雲が掛かるくらいで、「世紀の天体ショー」を楽しむことができた。
さらに幸いなことに、金環日食が比較的早い時間に起こったお陰で、僕は出勤前に見ることができた。息子も小学校に行く前の時間、娘はふつうなら通学途中の時間帯なのだが、今日はたまたま運動会の代休だった。それで、家内を併せて家族4人で見ることができたのである。
ところで、昨日の夕方頃、新宿にある量販店に立ち寄ったところ、日食グラスが売り切れになっていた。そういう物理的な理由で今回の日食が見られなかった方もいるのだろうが、我が家には3枚あったので、余裕を持って見ることができた。
もっとも、買ったのは1枚しかない。
4月頃、近所の量販店に行った時に息子が欲しいと言うので買った1枚のほか、割に最近、父が我が家に来た折、孫への土産として持って来てくれたものが1枚、先日、娘が学校で配られて貰って来たものが1枚である。
父の土産のものが一番見えにくく、次いで我が家で買ったもの、一番良く見えたのは娘が貰って来た手作りに近いようなものだった。
これは言い換えれば、減光性能の高い順、ということになるわけで、見易かったのが良いものなのかどうかは微妙なところである。あるいは曇りがちだからこその結果で、快晴であれば、もしかしたら父の土産が一番良かったのかもしれない。
もとよりどうでも良い話である。
開業前最後のライトアップ。
中央大橋(中央区新川)から。
不用意に撮ったためにブレている。夜景撮影をナメるものではない。
が、きちんと撮れば、美しい写真が出来るだろう。
(OLYMPUS PEN E-PL2 + Carl Zeiss Planar T*50mm F1.4)
5月24日追記。
こんな構図も悪くないかと思って追加する。ブレてるけど…。
(OLYMPUS PEN E-PL2 + M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6)
河原稲荷神社(足立区千住河原町)。
ここには、なかなか大型の狛犬がいる。
そして、この狛犬(阿行)の前には、説明板が立っている。クリックすると拡大するので是非見て欲しい。
この文章は、良くある神社の立札の域を超えている。単なる狛犬の説明には止まっていない。
ふつうなら、「この大型の狛犬は、浅草神社にある天保7年(1836)製の狛犬と作風が類似しており、同じ頃のものと推測される。」というような書き方をするものである。
人々が浅草神社に訪れて狛犬を見たところで、この神社の利益にはならないのに、「皆様も是非浅草神社でご覧下さい」などと書いてあるのは、この狛犬の良さを多くの人に理解して欲しいという、深い愛情が感じられる。
なお、浅草神社の狛犬については、
たっつんさんのブログの記事でご確認いただきたい。
下が、「そっくり同じ手法」という石組である。
千住七福神の一つ、福禄寿を祀る。
(OLYMPUS PEN E-PL2 + M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 & Carl Zeiss Planar T*50mm F1.4)
「同格」という文法用語がある。
有名な例として、『伊勢物語』第9段の、
白き鳥の、嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる、水の上に游びつつ、魚を喰ふ。
というものが上げられる。
周知のことに無用の解説をすれば、格助詞「の」の前後が同格(=同じもの)になっていて、それを並列して、「『白き鳥』デ、『嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる』鳥ガ、…」という文脈だということである。
言い換えれば、「白き鳥」が「水の上に游びつつ、魚を喰ふ」のであり、かつ、「嘴と脚と赤き、鴫の大きさなる(鳥)」が、「水の上に游びつつ、魚を喰ふ」のである。そのことが、格助詞「の」によって明示されている、ということである。
現代文法にも、同じく「同格」という考え方がある。
「苺の赤いの」というような場合なのだが、現代文法の「同格」には考え方に二通りあるようで、
(1)「苺
の赤いの」
のように、先の「の」を同格とする場合と、
(2)「苺の赤い
の」
のように、後の「の」を同格とする場合とがある。
(1)の場合は、古典文法の「同格」と同じに考えれば良い。「苺
デ、赤いの(=苺)」ということである。
(2)の場合は、後の「の」が文頭の「苺」と同じものを指しているから、それを「同格」とするのである。
どちらの考えが主流なのかは、判らない。
さて、水上瀧太郎の『九月一日』という作品を読んでいて、こういう用例を見つけた。
長男の一郎と、長女の甲子と、次女の乙子と、夫人の里の遠縁の者の娘で甲子や乙子の世話をする養子と、一郎の同級生の澤と、女中の延と鉄と、別荘番のじいやとばあやがいた。外には英国種のポインタアの年をとってよぼよぼしているのがいた。
(1)の考えで言えば、「ポインタア
の」の「の」が、同格である。「『ポインタア』デ、『年をとってよぼよぼしているの(=ポインタア)』」ということである。
ただ、このような「同格」の考え方には問題がある。
同じような始まり方をする文章でも、
ポインタアの年をとってよぼよぼしている姿が哀れだった。
というような文章になることもありうるわけだから、2度目の「の」が出て来ない限り、最初の「の」を同格とは判断できないのである。
ことばというものは、最初から順番に読み、聞きして、理解できるべきものである。
たとえば、「僕は昨日銀座で買い物をした」という場合、文末の「した」を聞かなければ、「昨日」とか「銀座で」とかの意味が判らない、ということはありえない。「僕は」の意味の判断を保留し続けたまま、判断材料が出て来るまで話を聞き続けるということは、ないのである。
むろん、「僕は昨日銀座で」を聞いた段階では、銀座で何をしたのかは判らないけれども、すくなくとも、「僕は昨日銀座で」という情報は、伝わるのである。
もっとも、「僕は昨日アディスアベバに…」と聞いても、「アディスアベバ」がどこなのか、判らないかもしれないけれども、それはアディスアベバ(エチオピアの首都)についての知識を持っていないだけで、文章の意味が判らないのではない。
つまり、「ポインタアの年をとってよぼよぼしているの」まで読まなければ、「ポインタアの」の「の」が同格であると判別することができない、ということは、書きことばであれ、話しことばであれ、それがことばである限り、ありえないのである。
だから、この「ポインタア
の」の「の」は、「年をとってよぼよぼしているの(=ポインタア)」に対する連体修飾であって、「同格」ではないと考えなければならない。
何時書けるかは定かではないが、(2)に続く。
久方ぶりに、神社巡り~というほど巡ってはいないが~に行って来た。
千住七福神の一つ、恵比寿神を祀る千住神社(足立区千住宮元町)。
ここは足立区最古の神社だそうだが、そういうことは、もっと大々的に喧伝しても良いのではなかろうか。
さて、まずはこれ…なのだが、きっちり囲われてしまって、その上蔦まで絡まって、何だかまったく判らない。
が、恐らく、「飛びギツネ」と思われる。
文政13年(1830)製の狛犬。かなりの出来栄えで、迫力がある。
末社・稲荷大明神。
この神社のウリは、どうやらこれらしい。「全国に珍しい 回転する『願掛け恵比寿』」。
確かに恵比寿神像が回転するのだが、廻してどうするのか、良く判らない。
由緒ありげな神楽殿。
(OLYMPUS PEN E-PL2 + M.ZUIKO DIGITAL ED 14-42mm F3.5-5.6 & Carl Zeiss Planar T*50mm F1.4)
文:寮美千子・絵:佐竹美穂『黒い太陽のおはなし 日食の科学と神話』金環日食を1週間後に控えて、この書を紹介する。
とは言え、ここ最近のものではない。2009年、前回の皆既日食に合わせて、出版されたものである。
日食の仕組み…太陽と、月と、地球の関係…が、やさしく、判りやすく書かれている。もっとも、子供向けとは言え、説明している事柄自体が難しいから、中学生くらいにならないと、自力で読みこなすのは難しいかもしれない。
オマケ、というわけではないけれども、日食に関わる日本・アイヌ・インドの神話が書かれている。日本のはお馴染みのもの、アイヌのはちょっと怖く、インドのはかなり怖い。
今からでも、読んでみては如何か?