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附箋を剥がす(『芥川龍之介全集 第2巻』)・その1

『芥川龍之介全集 第2巻』(岩波書店、昭和29年11月)の附箋を剥がす。

上人、「御主御受難の砌は、エルサレムにゐられたか」(「さまよへる猶太人」P11)


「ゐられた」がちょっとだけ気になったのでメモしておいた。

さうして又、第一の私と、同じ姿勢を装つて居りました。もしそれがこちらを向いたとしたならば、恐らくその顔も亦、私と同じだつた事でございませう。私はその時の私の心もちを、何と形容していゝかわかりません。私の周囲には大ぜいの人間が、しつきりなしに動いて居ります。私の頭の上には多くの電燈が、昼のやうな光を放つて居ります。云はゞ私の前後左右には、神秘と両立し難い一切の条件が備つてゐたとでも申しませうか。(「二つの手紙」P20)


芥川には珍しくないけれども、東京弁「しつきりなし」。

これは一月の十七日、丁度木曜日の正午近くの事でございます。その日私は学校に居りますと、突然旧友の一人が訪ねて参りましたので、幸午後からは授業の時間もございませんから、一しよに学校を出て、駿河台下の或カツフエへ飯を食ひに参りました。駿河台下には、御承知の通りあの四つ辻の近くに、大時計が一つございます。私は電車を降りる時に、ふとその時計の針が、十二時十五分を指してゐたのに気がつきました。その時の私には、大時計の白い盤が、雪をもつた、鉛のやうな空を後にして、ぢつと動かずにゐるのが、何となく恐しいやうな気がしたのでございます。(「二つの手紙」P22)


読む度に、駿河台下の大時計って何だろう、「御承知の通り」と言うくらいだから有名なんだろうと思いつつ、毎回読んだ端から忘れてしまって調べたことがない。今回軽く調べても判らないので、備忘のために書き留めておく。

所で、意思の有無と申す事は、存外不確なものではございますまいか。成程、妻はドツペルゲンゲルを現さうとは、意志しなかつたのに相違ございません。しかし、私の事は始終念頭にあつたでございませう。或は私とどこかへ一しよに行く事を、望んで居つたかも知れません。これが妻のやうな素質を持つてゐるものに、ドツペルゲンゲルの出現を意志したと、同じやうな結果を齎すと云ふ事は、考へられない事でございませうか。少くとも私はさうありさうな事だと存じます。(「二つの手紙」P27~28)


「意志しない」「意志する」が気になったためのメモ。

どうか私の申上げた事を御信じ下さい。さうして、残酷な世間の迫害に苦しんでゐる、私たち夫婦に御同情下さい。私の同僚の一人は故に大きな声を出して、新聞に出てゐる貫通事件を、私の前で喋々して聞かせました。私の先輩の一人は、私に手紙をよこして、妻の不品行を諷すると同時に、それとなく離婚を進めてくれました。それから又、私の教へてゐる学生は、私の講義を真面目に聴かなくなつたばかりでなく、私の教室の黒板に、私と妻とのカリカテゥアを描いて、その下に「めでたしめでたし」と書いて置きました。(「二つの手紙」P29)


「故に」は「ことさらに」。

或者は、無名のはがきをよこして、妻を禽獣に比しました。或者は、宅の黒塀へ学生以上の手腕を揮つて、如何はしい書と文句とを書きました。さうして更に大胆なる或者は、私の邸内へ忍びこんで、妻と私とが夕飯を認めてゐる所を、窺ひに参りました。閣下、これが人間らしい行でございませうか。(「二つの手紙」P29)


「夕飯を認める」が珍しかったので。

(一しよに大学を出た親しい友だちの一人に、或夏の午後京浜電車の中で遇つたら、こんな話を聞かせられた。)(P44)

(ここまで話すと、電車が品川へ来た。自分は新橋で降りる体である。それを知つてゐる友だちは、語り完らない事を虞れるやうに、時々眼を窓の外へ投げながら、稍慌しい口調で、話つづけた。)(P49)

(二人の乗つてゐた電車は、この時、薄暮の新橋停車場へ着いた。)(P50)


「京浜電車」っていうのは京急のことかな、と一瞬思ったのだけれども、その後の「品川」「新橋(停車場)」からすれば、今の東海道線(京浜東北線)のことなのだろう。

この間、社の用でYへ行つた時の話だ。向うで宴会を開いて、僕を招待(せうだい)してくれた事がある。何しろYの事だから、床の間には石版摺りの乃木大将の掛物がかゝつてゐて、その前に造花の牡丹が生けてあると云ふ体裁だがね。夕方から雨がふつたのと、人数(にんず)も割に少かつたのとで、思つたより感じがよかつた。(「片恋」P44)


「招待」と「人数」のルビ。

さう話がわかつてゐれば、大に心づよい。どうせこれもその愚作中の愚作だよ。何しろお徳の口吻を真似ると、『まあ私の片恋つて云ふやうなものなんだからね。精々そのつもりで、聞いてくれ給へ。(「片恋」P46)


異質的な文体の融合。会話文から地の文(会話文に引用された会話文から会話文)に融合する事例。

ざつと十年ぶりで、恋人にめぐり遇つたんだ。向うは写真だから、変らなからうが、こつちはお徳が福龍になつてゐる。さう思へば、可哀さうだよ。(「片恋」P48)


「福龍」が判らなかったのでメモしておいた。調べてもいないのでまだ判らない。

盧生は、ぢれつたさうに呂翁の語を聞いてゐたが、相手が念を押すと共に、青年らしい顔をあげて、眼をかがやかせながら、かう云つた。
「夢だから、猶行きたいのです。あの夢のさめたやうに、この夢もさめる時が来るでせう。その時が来るまでの間、私は真に生きたと云へる程生きたいのです。あなたはさう思ひませんか。」(「黄梁夢」P54)


読む度何となく気になる一節。

(続く)

「王城の北」―附箋を剥がす(『芥川龍之介全集 第1巻』)・続2

『芥川龍之介全集 第1巻』に関して、もう1題。

その時、王城の北、朱雀大路のはづれにある、羅生門のほとりには、時ならない弦打ちの音が、さながら蝙蝠の羽音のやうに、互に呼びつ答へつして、或は一人、或は三人、或は五人、或は八人、怪しげな出立をしたものゝ姿が、次第に何処からか、つどつて来た。(「偸盗」P244)


ここが気になるのは僕に知識・常識が欠如しているからなのだろうか?
羅生門が「朱雀大路のはづれ」にあるのはその通りだけれども、「王城の北」が腑に落ちない。
「王城」は、『日本国語大辞典』によれば、

①帝王の住む城。皇居。内裏。②都。帝都。


である。
念のため第二版を見ても、

①帝王の住む城。皇居。内裏。②皇居のある所。都。帝都。


と、ほぼ同じ。
更に念のため、芥川を読む上で非常に有用な(と、僕が考えている)『大言海』(冨山房)。

王者ノ宮城。帝王ノ宮居。都(ミヤコ)。


説明が古風なだけで、書かれていることは同じである。

この場合の「王城」が「皇居。内裏」「宮城」を指すわけではもちろんないので、「都」が該当する。

「都」…平安京の北、「朱雀大路のはづれ」にあるのは門は朱雀門である。
羅生門(羅城門)も「朱雀大路のはづれ」にあるけれども、平安京の最南端に当たる。

この部分には諸書に特段の注記も見当たらないし、最新の全集でも「改む」などとして「王城の南」とされていたりはしない。
こんなところに疑問を持っているのは僕だけ?

いつも通り、結論は、ない。

指定の件数分だけupdateする

1本のupdate文で大量のレコードを更新する場合、全件を一括して更新すると時間も負荷も掛かってしまう。
それで、少しずつupdateしたいと思って、試しに

update top 1000 TBL set …


と書いてみたのだけれども、「'1000' 付近に不適切な構文があります。」というエラーが出て更新ができない。

それで、where句をselect文にしてその中にtop 1000を入れることも考えて、それはそれで可能なのだけれども、調べてみたらもっと簡単にできることが判った。

update top (1000) TBL set …


というふうに、件数を括弧で括るのみ。

ただし気を付けなければいけないのは、where句でset前の値を指定しておかないと、いつまで経っても最初の1000件だけが同じ値に只管上書かれ続けてしまうこと。
言わずもがなか…。

「犢もこれにくらべれば…」(その2)―附箋を剥がす(『芥川龍之介全集 第1巻』)・続

犢もこれにくらべれば…」の続き。

「犢もこれにくらべれば、大きい事はあつても、小さい事はない。」で間違いなさそうなのに、だらだらと書き連ねているのは以下の事情による。

僕が持っている『芥川龍之介全集』(岩波書店、昭和29年1月)には、書いた通り
「犢もこれにくらべれば、大きい事はあつても、小さい事はない。」
とある。
ただ、岩波だけでも何度も全集を出しているので、図書館で見られる限り見てみた。

①『芥川龍之介全集 第二巻』角川書店 昭和43年1月
犬は三頭が三頭ながら、大きさも毛なみも一対な茶まだらの逸物で、犢もこれにくらべれば、大きい事はあつても、小さい事はない。

②『芥川龍之介全集 第一巻』筑摩書房 昭和46年3月
犬は三頭が三頭ながら、大きさも毛なみも一対な茶まだらの逸物で、犢もこれにくらべれば、大きい事はあつても、小さい事はない。

③『芥川龍之介全集 第一巻』岩波書店 1977年7月
犬は三頭が三頭ながら、大きさも毛なみも一対な茶まだらの逸物で、犢もこれにくらべれば、小さい事はあつても、大きい事はない。

④『芥川龍之介全集 第二巻』岩波書店 1995年12月
犬は三頭が三頭ながら、大きさも毛なみも一対な茶まだらの逸物で、犢もこれにくらべれば、小さい事はあつても、大きい事はない。


③④の本文が「小さい事はあつても、大きい事はない。」になっている。

岩波書店では、少なくとも1927年~、1934年~、1954年~、1977年~、1995年~の5回全集を出している。
僕の持っているのが1954年の新書版全集で、それは前に書いた通り「大きい事はあつても、小さい事はない。」になっているので、未確認ではあるけれどもそれ以前の全集は、それと同じだったろうと思われる。
1977年以降の全集③④で、本文が「小さい事はあつても、大きい事はない。」になっているのだけれども、それらの全集の「後記」には、底本に「大きい事はあつても、小さい事はない。」とあるとした上で、「改む。」と書かれている。
③の底本は1927年の、④の底本は1954年のものではないかと思われる。とすれば、それらの本文はいずれも「大きい事はあつても…」ということになる。
因みに、現行の岩波文庫(2002年10月改版)は、1995年版の全集を底本にしているから、「犢もこれにくらべれば、小さい事はあっても、大きい事はない。」とある。
これらから考えれば、芥川が書いた本文は、「大きい事はあつても…」で間違いない。

実は、馬上駿兵サンが『[文法]であじわう名文』を書いた時に、④の全集と新書版全集を見比べて、「小さい事はあつても、大きい事はない。」は誤植だと判断して「大きい事はあっても、小さい事はない。」の本文を採用した。論旨に支障はないとしても、軽慮だった憾みはある。

それはさておき、芥川自身は「偸盗」の出来が気に入らなかったらしく、生前に単行本に入れることがなかった。だから、「小さい事はあつても…」を「大きい事はあつても…」に書き直したりはしていない。
それが芥川の誤記だったのだとしても(そして恐らく誤記なのには違いないけれども)、没後に他人が書き換えるというのが正しいのかどうか、判断は難しい。
作家だって書き間違えることはあり、もし芥川が長生きして全集の編纂に関わったりしていたら自分で書き直していた可能性はある。そういう意味では芥川が意図していたであろう形に書き換えることは一概に誤りとも言い難い。
一方、誤りだったとしても芥川本人がそう書いたのだから、それこそが「正しい」本文だとする考え方にも、一理ある。

で、結局のところそれで何が言えるのかと言うと、現在、世上にある「偸盗」の本文には、ふた通りのものがある、というだけのことである。

「犢もこれにくらべれば…」―附箋を剥がす(『芥川龍之介全集 第1巻』)・続

附箋を剥がす(『芥川龍之介全集 第1巻』)」のエントリで、「もう少し気になったものもある」と書いた、その内の2つ、のうちの1つ。

が、相手の一人を殺し、一人を追払つた後で、犬だけなら、恐れる事もないと思つたのは、結局次郎の空だのみにすぎなかつた。犬は三頭が三頭ながら、大きさも毛なみも一対な茶まだらの逸物で、犢もこれにくらべれば、大きい事はあつても、小さい事はない。それが皆、口のまはりを人間の血に濡らして、前に変らず彼の足下へ、左右から襲ひかゝつた。一頭の頤を蹴返すと、一頭が肩先へ踊りかゝる。それと同時に、一頭の牙が、すんでに太刀を持つた手を、噛まうとした。(「偸盗」P252)


問題は、「犢もこれにくらべれば、大きい事はあつても、小さい事はない。」である。
犢(こうし)と比べられているのだから、もちろん大きいという表現ではあるのだけれども、犢よりは小さいと言っているのだから、何だか中途半端な感はある。
手許にあるちくま文庫版『芥川龍之介全集』を見ても同じである。この文庫版全集は筑摩類聚全集を底本としているから、それも同じなのだろう。
国立国会図書館のデジタル資料で唯一館外閲覧のできた昭和3年刊岩波文庫も同じ。
安直に青空文庫を検索して見ても本文は同じ…と思ったら、僕の持っている全集を底本としている岩波文庫(昭和35年刊)を底本としていたから当然ではある。
文庫本をほかに1~2冊持っていたはずだけれども、どこかにしまい込んでしまったものか見つからないので、自宅に居ながらにして確認できる範囲では、「大きい事はあつても、小さい事はない」なのに違いない。
何となくもやもやした思いは残るものの、芥川がそう書いたのならどうにも致し方がない。

(続く)