FC2ブログ

「見上げようとして『も』」(続)

見上げようとして『も』」の続き。

調べた限り、「大根の月」には以下の版がある。

①『小説新潮』(新潮社) 1980年7月(初出)
②『思い出トランプ』(新潮社) 1980年12月(初収)
③『思い出トランプ』(新潮社<新潮文庫>) 1983年5月
④『向田邦子全集 第三巻』(文藝春秋) 1987年8月
⑤『向田邦子全集<新版> 第一巻』(文藝春秋) 2009年4月
⑥『思い出トランプ(改版)』(新潮社<新潮文庫>) 2014年6月

これ以外にも、『思い出トランプ』の「大活字文庫」というのもあるようなのだけれども、さすがにそこまでは考慮しなくても良いだろう。
ちなみに、作家が物故したのは1981年だから、生前に刊行されたのは②までである。

さて、今回披見したのは③④⑤の3冊である。
まず、④の本文は下記の通り。

空を見上げて、昼の月が出ていたら戻ろうと思い、見上げようとしても、もし出ていなかったらと不安になって、汗ばむのかまわず歩き続けた。


引用した通り、「見上げようとしても」とある。僕が「ある機会」に依拠したのはこの全集本である。
では、その他はどうだろうか、と思って見てみたところ、③も⑤も「見上げようとして」になっていた。
書店で立ち読みしたのは⑤だから、今手許にはないものの、これも「見上げようとして」である。

…というのが、ここまで調べたすべて。
作家の個人全集と雖も、漱石とか芥川とか、研究史のある作家の全集なら、専門家による本文についての注記が付けられているのが常套だけれども、現代作家の全集には、そういうものがほとんどない。
だから、何故最初の全集で「も」が付いているのか、何故次の全集で「も」がなくなっているのか、その事情は一切判らない。
著者生前に刊行された①②を見れば、ある程度はっきりするのかもしれないけれども、②はともかくとして、①は予約制の図書館に行かなければなかなか見ることができなそうだから、ハードルは高い。
追々、調べようと思う。

なお、調べた結果、最初の全集の「も」が誤植だという洒落にもならないオチだったとしても、公刊された作品の本文であることには違いないのだから、その「も」に意味があるという読み方を、撤回するつもりはないし、対象とする作品の本文について確認することもなく何冊も書籍を書き続けている姿勢を是認する気もない。

「見上げようとして『も』」

以前…と言ってももう4年も前のことになるが、「続・昼下がりの月」等の一連のエントリで、ある作品に対する、ある書籍の論評のイイカゲンさを書いた。
「ある作品」というのは、実は向田邦子の『思い出トランプ』に収められている「大根の月」という短篇なのだけれども、その際に、「ある書籍」が引用している、

空を見上げて、昼の月が出ていたら戻ろうと思い、見上げようとして、もし出ていなかったらと不安になって、汗ばむのかまわず歩き続けた。


という作品の末尾一文の文言が、「見上げようとして」ではなく、「見上げようとしても」だということを追記した。
その後、ある機会に(と、敢えて言っておくが)この「も」の効果について書いた。この助詞一字が、非常に深い意味を持っているということである。

最初に書いた「ある書籍」の著者が、最近またこの作品について書いていたのだが、それを見ても、この「も」には一切言及されておらず、引用本文も「見上げようとして」のままだった。
ブログで書き散らしただけならまだしも、それなりにきちんとした形で書いたのに、しかも「ある書籍」の著者は間違いなくそれを読んでいるのに、何の問題意識も感じないのは何故だろう? ということで、再び書く。
その無関心さがあまりにも不思議だったので、家にあったはずだが見当らなくなってしまった新潮文庫本の『思い出トランプ』を職場近くの書店で立ち読みしたところ、何と本文が「見上げようとして」になっている。
さてはやっちまったか? と思ったのだけれども、引用した本文は、わざわざ図書館に行って向田邦子全集を見ているのだし、コピーもして何度も確認しているから、間違いはないはず。
とは言え、そのコピーは既に捨ててしまっているので、改めてきちんと調べてみようと思い立った。

もっとも、今はコロナ禍で、図書館に行くのもままならない。一度で事が済みそうな大きな図書館は軒並み予約制で、なかなか時間の合間にふらっと訪れるようなわけにも行かない状況である。
これは全部調べない限りは答えが出ないので、現時点で判ったところまで、書き留めておく。あくまでもメモである。

…と、書いて来たところで力尽きたので、今日はここまで。
仕事帰りに閉館間際の図書館に駆け込んで調べたのだから、勘弁してくれ。

山崎正和

山崎正和さんが死去 劇作家・評論家、86歳

戯曲「世阿弥」や評論「柔らかい個人主義の誕生」で知られる劇作家・評論家で文化勲章受章者の山崎正和(やまざき・まさかず)さんが8月19日午前3時2分、悪性中皮腫のため兵庫県内の病院で死去した。86歳だった。告別式は近親者で行った。

京都市生まれ、京都大大学院修了。後に米エール大に留学。1963年、能楽の大成者を主人公とする戯曲「世阿弥」で演劇界の登竜門である岸田国士戯曲賞を受賞、気鋭の劇作家として注目される。演劇、小説、詩など幅広い分野の評論も手がけ、73年には森鴎外を新たな視点で論じた「鴎外 闘う家長」で読売文学賞を受賞する。

84年発表の評論「柔らかい個人主義の誕生」(吉野作造賞)では、当時起きていた日本の消費社会の変化を取り上げ、「顔の見える大衆」の登場を肯定的にとらえた。それは「社交する人間 ホモ・ソシアビリス」(2003年)などの文明論へとつながっていく。他の著書に「文明としての教育」「世界文明史の試み 神話と舞踊」などがある。(日本経済新聞)


誰と勘違いしていたのか、もうとっくに亡くなっているとばかり思っていた。
僕にとっては劇作家より評論家で、学生時代、山崎正和くらい知らなければモグリだというくらい、名前が上っていた。

僕は大して読んでなかったけどね。

月末日付

以前、「日付型の変換など」で書いた日付の求め方、今(SQLServer 2012以降)ではもっと簡単にできるらしい。

当月月末日付はこれで良いらしい。

select eomonth(getdate())


翌月月末なら「getdate()),1)、前月月末なら「getdate()),-1)とするだけ。

もっとも、これを実践する環境が、現状ではない。

外山滋比古

「思考の整理学」外山滋比古さん死去 96歳

若い世代を中心に40年近く読み継がれている「思考の整理学」の著者として知られる英文学者で、お茶の水女子大学名誉教授の外山滋比古さんが先月30日、胆管がんのため東京都内の病院で亡くなりました。96歳でした。

外山さんは大正12年に愛知県で生まれ、雑誌の編集に携わったあと、お茶の水女子大学や昭和女子大学などで教べんを執りました。

シェークスピアなど専門のイギリス文学にとどまらず、日本語や教育など幅広い分野で独創的な視点から数多くの評論を残しました。

中でも昭和58年に刊行した「思考の整理学」は物の見方や考え方、アイデアの生み出し方などをみずからの体験を基に明快に示して、若い世代を中心に40年近く読み継がれ、版元の筑摩書房によりますと、今も大学生協の書籍ランキングに名を連ねるなど、累計の販売部数がおよそ250万部のロングセラーとなっています。(NHK)


一度だけ、所属している学会の講演で見る機会があった…のだけれど、仕事で間に合わなそうだし、学会で講演なんか…ととんがっていたこともあり、行かなかった。
その公演は非常に評判が良く、若干後悔しなかったわけでもない。